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心地良い距離を他人と分かち合うっていうのは
想像以上に難しいことなのかもしれない。
3
人
暮
ら
し
…03 キョリ
「ただいま…って、何…コレ。」
リビングに顔を出した俺の目に真っ先に飛び込んで来たのは、テーブルの上に所狭しと乗せられた皿、皿、皿。
どの皿にも、出来立てらしい湯気を立てた料理がたっぷり盛られている。
ローストビーフのヨークシャープディング添え。
ミモザサラダ
ポテトタルトにシーフードグラタン
何かよくわかんねー魚のムニエル
エトセトラエトセトラ。
…今日ってなんかのお祝いだったっけ…?
「あ、お帰りミゲル!」
キッチンで鍋をかき回していたラスティが、こっちを振り返ってにっこり笑った。
後ろのオーブンがオレンジ色の光を放ってるところを見ると、まだ何皿か増えるんだろう。
これは一体どうしたんだと聞こうとした途端、玄関の扉が開く音がした。
「ただいまー。何かいい匂いすんなぁ。」
「ハイネ!?何だよ今日は早ぇな。」
「んーまぁね」
「ちょうど良かった!ほら二人とも着替えて、手伝って!」
ラスティに急かされて部屋に戻ると、仕方なく鞄を下ろして着替え始める。
随分張り切ってんなぁ、ラスティ。
それに、今朝俺が出かけたときとは大分様子が違ってる。
昨日なんてベッコベコに凹んで手が付けられねぇくらいだったのに。
首を捻りながら部屋を出てリビングに行くと、もうハイネが着替えて支度を手伝っていた。
濃い色のシャツとラインの綺麗なパンツをサラッと着こなして、水が流れるように滑らかに動いてる。
そんな姿に、昔アカデミーや軍内で先輩として慕っていた頃を思い出して懐かしくなる。
全ての動きが優雅で、言動が大人っぽくて、一つしか違わないのにこんなにも綺麗な人がいるのかと、憧れた。
そのハイネが、今ラスティに言われるまま体を屈めて皿を出してるのが、とても不思議だった。
「ねぇミゲル、スープ皿取ってくれる?」
「え?あ、スープ皿?」
「うん。緑色ので、そっちの棚にあるヤツ。」
ラスティの言葉に我に返って、慌てて言われた棚を探す。
えーと、緑…緑、のスープ皿…
「ここだよ。」
突然耳元で声が聞こえた。
振り向く間もなく、横からスッと手が伸びて俺の視線の少し上の皿を取る。
サラリと髪が耳を掠めて、離れる。
あまりの驚きで声が出なかった。
「お前のが家でメシ食ってんだろ。覚えとけよ。」
パシンとハイネが俺の頭を弾いた。
皮肉っぽい笑い声と微熱が耳に残って離れない。
心臓が今まで経験したことないくらいに暴れてた。
カチャリ、とカトラリーがぶつかる音が静かな部屋に響く。
やけにそれがでかく聞こえて、ぎこちない仕種で銀のスプーンを持ち直した。
今日くらいはテレビもラジオもつけないで食べようと言うラスティに渋々従ったのだが、食事し始めて早々に俺はそれを後悔し始めてた。
これだけ静かだと、自分が食事を取ってる音がやけに耳について逆に落ち着かない。
それに何より、耳が、目が、どうしてもハイネの方に向いてしまうのだ。
少し骨ばっている長い指がスープ皿のスプーンを弄ぶ。
つるりと皿を舐めるようにスプーンが動かされて、雫を滑らせながら持ち上がる。
形のいい唇にピッタリ寄り添って、音もなく吸い込まれていく。
口の端に残ったスープを舐める仕種さえ綺麗で、思わずボーっと見惚れてしまっていた。
ハイネみたいにものを食べたいと、ずっと憧れていた。
今のハイネは昔とは違う、少し型を崩してリラックスした様子を見せてる。
でもそれすら妙に綺麗で、さっきから鳴りっぱなしの心臓が落ち着かない。
「何?」
「え?」
「じっと見てるから。どうしたんだよ?」
「あ、いや…別に。」
「ふうん?」
ハイネが少し目を細めて、何か伺うような視線を向ける。
俺は慌てて目を手元の皿に戻した。
水に濡れて艶めく唇が魅惑的で、つい目で追いかけてしまう。
食ってるとこじっと見てるなんて、浅ましいと思われたかも知んない…。
わずかにスプーンを持つ手に汗がにじんだ。
「ハイネが食事してるのが珍しいからだよなー。」
ラスティが笑いながらそう言った言葉に、改めてハッとする。
そう言えば、俺はハイネと向き合って食事をしたことはどれくらいあっただろうか。
「そりゃ悪ぅござんしたねぇーっと。」
「でも今日はちゃんと帰ってきたから許してやる。」
「うん、旨い旨い。あ、ラスティ、塩とって。」
「えー!?それ結構味ついてるっしょ。」
「ここんとこが薄いんだよ。」
「体に悪いってばー!ちょっとミゲルも何とか言ってよ。」
ラスティの向かいに座った俺は、話に適当に相槌を打ちながらぎこちない笑顔を浮かべてる。
…顔を上げても、斜め向かいのハイネの顔はもうほとんど見られなかった。
そうだ、俺はハイネと食事をしたことなんて、数える程もなかったのかも知れない。
ハイネが軍にいた頃も所属してる隊が違ったから、食堂で会ってもお互い別の仲間と食事を取ってたし。
引っ越した最初の日の夕食は三人で食ったけど、あの時はお互い片付けも残ってたりしてバタバタと食事した感じだった。
それからハイネは家で食事を取ったことなんて無かったし、そもそもすれ違ってばかりで会うことすらままならないくらいだった。
実質今夜が初めてといっても差し支えないかも知れない。
そう思った途端にやけに緊張して、どっちの手を動かして何を取ろうとしてるのか自分でもよくわからなくなってきた。
…ごくりと飲み込んだ音が大きく響いてる気がして、息を詰めた。
何か、変だ。
解っているけど、どうしてか自然に話が出来なかった。
ラジオから静かにクラシックが流れるなか、リビングのテーブルで俺はコーヒーを飲んでいた。
シャワーの水音と、食洗機の回る音が微かに聞こえる。
やっと訪れた穏やかな夕食後のひとときに、俺は心の平安を取り戻していた。
黒い皮のソファの上では、ラスティがうつ伏せに転がってテキストを広げている。
その顔の下には、真新しいクッションがふたつ重ねて置かれてる。
今日仕事帰りのハイネが買って来た物だ。
ソファにクッションがなかったからと言いながら手渡したその包みを開けると、出てきたのは明るい黄色と緑のチェック柄。
こういう趣味もあったのかと、正直少し驚いた。
まぁでもサッパリした色だし柄も大きめでくどくない。
この部屋にもいい感じに調和してるしな。ポイントで鮮やかな色が入るってのも割といいじゃん。
なんてそう思うのは、きっとハイネが選んだ物だからなんだろうけど。
嬉しそうにクッションに顔を押し当てるラスティを見ながら、ぼんやりと昨夜のことを思い出す。
昨日はあそこであんなにビービー泣いてたのに、一夜明けたらコレだもんなぁ
お天気屋って言うか、楽天的って言うか。
まぁそこがラスティの良いところだし、もともと大して心配しちゃいなかったんだけどさ。
何となく可笑しくなって小さく笑いを零したのを、耳ざとく聞きつけたらしい。
ラスティが顔を上げてこちらを見た。
「何?」
「いいや。何読んでんの?」
「心理学のテキスト。面白いんだよ。人の心の中って単純なようで複雑に出来てるんだなって改めて思うんだ。」
「へぇ?」
「簡単な心理テストもあるんだ。試してみる?」
「そうだなぁ。」
「何の話ー?」
声のしたほうを振り返ると、風呂上りのハイネがグラス片手に立っていた。
華奢なワイングラスには半分くらいロゼが入ってる。
湯上りの少し上気したような色合いの肌に、ちょっと戸惑って目を外した。
やっべ、風呂上りのハイネってすげー…色っぽいって言うか…
変に動悸がして、普通にしてらんない。
「心理テストみたいなやつ。ハイネもやってみる?今日のオリエンテーションでやったんだ。」
「ふぅん。どんなの?」
ハイネも興味を持ったようで、近寄ってきてラスティのテキストを覗き込むようにしてる。
示されるまま、リビングのローテーブルにグラスを置いてラスティの向かい側に座る。
俺もそれに倣ってハイネの隣に座った。
俺らの顔を交互に眺めながら、ラスティがもったいぶって口を開いた。
「まず、おでこに指で"F"って書いてください。」
「うん。」
「それで?」
「その"F"は自分から見て"F"でしたか?それとも俺から見て"F"でしたか?」
「俺は自分のほうから見て"F"」
「ミゲルは?」
「俺、はお前の方から見て"F"だな。」
「ほっほー、なるほどぉ。」
ラスティがちょっと意外そうな顔をして俺らの顔を見比べる。
「で?これが何なの?」
「これはねー、自意識が強く向く方向をみる心理テストなの。自分から見てFなら自分の感情の動きとか内面に意識を強く向けるタイプで、相手から見てFなら他人から見られる自分を強く意識するタイプなんだって。」
「へぇー…」
「そんでお前はどうだったわけ?」
「それがさ〜、俺その時"M"って聞こえちゃって…Mって書いたんだよね。」
「"M"って…表も裏も一緒じゃんかよ!」
「でしょ?だから俺はわかんないのー。」
「っは!お前らしいボケだな。」
「何をー!ハイネだってそのまんまじゃん!自分のことばっかー!」
ラスティがぷりぷりしながらハイネに食って掛かる。
ハイネが笑いながらそれをかわしては、またからかって遊んでる。
…ホント、昨夜からは考えつかないくらい打ち解けてきてるよな、二人。
そうだ、そう言えばラスティは今日帰ってきた時から「ハイネ」って呼んでたし。
昨夜まで、いや、ほんの今朝まで「ハイネさん」と呼んでいたのに…
朝、俺が出かけてから何かあったんだろうか。
聞きたい気もしたけど、わざわざほじくり返すのも躊躇われて口に出しづらい。
うまく話が出来なかっただけ、何となく取り残されたような気分だった。
そんなことを考えていたせいだろうか。
今朝はどうも眠りが浅かったようで、今ひとつ目覚めがスッキリしない。
大きなあくびを一つしながら、スリッパの足を重く引きずるようにリビングに向かった。
出かける前にあっついシャワーでも浴びてぇけど、時間ねぇよなぁ…。
しょうがない、今朝のコーヒーはちょっと濃い目にして、それから…
カチャリとドアを開けて真っ先に目に入って来たのは、いつもより茶色がかったオレンジ色。
キッチンのカウンターにもたれているその長身は、質の良さそうなセーターとデニムを纏って優雅に紅茶をすすっていた。
「おぅ、今朝はゆっくりなのな。」
思わずバタリとドアを閉めてしまった。
なななな何でハイネ今日はこんなに早いんだ!?
とっさに髪に手を当ててみる。
うっわ、俺めちゃくちゃ寝癖付いてんし!!
しかも寝起きそのまんまで、今日に限っては上着も着ていない。
リビングのドアのガラスに映った頭を見て、ものすごく恥ずかしくなる。
慌ててUターンして部屋に駆け込んだ。
見られた?見られたよな?
ありえねぇ、マジ恥ずかしいし!
って何でこんな乙女みたいなことで悩んでんだよ俺!
…とか思うけどハイネがあんなにきちんとしてる前にこんなカッコじゃ居られねーしよ!
あーでも今更着替えて出て行くのも気まずくないか?
どーするよ、マジで。
五分悩んで、とりあえず着替えて髪を丁寧に梳いた。
どのみち気まずいならせめてマシなカッコの方を選びたい。
呼吸を落ち着けて扉を開けると、ちょうどラスティが大きな籠を抱えて部屋から出てきた。
「オハヨー。ミゲルも洗濯物あったら出してー。俺今日遅いから洗っとく。」
「え?」
「ミィゲェルー?何なんだよ、いきなりドア閉めて。何か文句でもあんのー?」
後ろからハイネが顔を出して、畳み掛けるようにそう訊いて来た。
それだけでもう何か動揺して、あーとかうーとか言いながらしどろもどろに弁解する。
ちょっと待てよ、その前にラスティが洗濯物がどうとか言ってなかったか?
「あ、ハイネは洗濯物ある?出しといてくれれば一緒に洗っちゃうよ。」
「マジで?」
「ほらミゲルも出して。部屋の中?ちょっと失礼〜」
「おっ、結構綺麗にしてんじゃーん。」
え!?
ちょっ、えっ、マジで…
「ちょ、ちょっと待てよっ!!」
迫り来るラスティとハイネを押し出してバタンとドアを閉めた。
何なんだよ何なんだよ何なんだよ!
つか部屋に入ってくるとかフツーにプライバシーの侵害とかじゃないのか!?
散らかしっぱなしの部屋なんか人に見られて気持ちがいいはずがない。
いきなり色々押しかけてきて相当俺はテンパっていた。
毎朝こんな調子だとしたら、俺の神経が持たない。
昨夜から緊張の連続で、既に限界だったのかもしれない。
つーかこれ以上俺のペースを崩されては耐えられねぇ!
「勝手に人の部屋に入らないこと!それと人の生活に干渉しない!」
「ミゲル?」
「一緒に暮らす上で最低限のルールは必要だろ。俺ら他人なわけなんだから。」
「え、それ、はそうだ…けど。ハ、ハイネは?それでいい、の?」
「んー…まぁミゲルがそこまで言うならそうしてみても良いんじゃない?」
この点に関しては、きっとハイネは俺に賛同してくれるだろうと思ってたから安心した。
昨日の晩から何となくハイネが遠くなった気がしていたけど、やっぱハイネはハイネだよな。
ラスティが一瞬ちょっと不服そうな顔を見せたけど、すぐに肩をすくめて笑った。
「……わかった。勝手に入ってごめんね。次から気をつける。」
「おう。そうして。…俺もう行くわ」
「え?朝ご飯は?」
「今日はいい。悪いな。」
つか、いっぱいいっぱいで飯なんか一緒に食える自信なんてない。
と、ドアのノブに手をかけて部屋に戻ろうとした腕が引かれる。
ビックリして、思わず手をバシッと振り払ってしまった。
やべッ…と思ったけどもう遅くて、ラスティが驚いたように目を見開いて、手を引っ込める。
その目に見られるのが嫌で、急いで目を逸らした。
「何?」
「あの、洗濯物、を」
「あー…なぁ、洗濯も別にしようぜ。」
「え!?何で?だって一緒に洗った方が経済的だし」
「イヤ、でもさ、その方がお互い気遣いなくていいだろ。」
「…気遣いなんて」
「ワリ、じゃあな。」
まだなにか言いたげなラスティに背を向けて部屋に戻ってもう一度着替えると、逃げるように鞄を掴んで家を出た。
その日の夜も避けるように残業して、二人と顔を合わせないように家に戻った。
玄関のドアから出来るだけ足音を忍ばせて真っ直ぐ部屋に駆け込む。
疲れきってベッドにダイブした。
…眠りたいのに、眠れない。
隣がハイネの部屋だと思うと、物音を立てるのが怖い。
息がつけなくなる。
息苦しい。
窓の向こうが白んできても、ほとんど眠ることが出来なかった。
休日が来るのはいつもなら嬉しいのに、今日に限ってはしんどい。
部屋に閉じこもってベッドに寝転がったまま、溜息をついた。
腹が減ってるけど動きたくない。
今は何時だろうか。
ぼんやりと頭を廻らして時計を見ようとした時に、扉を叩く音が聞こえた。
ココンと軽いノック音に続いて、軽い口調の声がドアの向こうから聞こえてきた。
「よっ。今、時間ある?」
体が震えた。
…ハイネだ
震えそうになる声を抑えて、出来るだけ平静を装って返事をする。
「あぁ、平気だけど。」
「そりゃ良かった。じゃ、ちょっとリビングまで来てよ。俺の部屋とかじゃ嫌だろ。」
そう言って俺の返事を待つ様子もなくスタスタとリビングの方へ行ってしまう。
最後の言葉に妙に引っ掛かるものを覚えながら足を運ぶと、ハイネが食器棚を開いてカップを出していた。
「ラスティは?」
「買い物。紅茶でいい?」
「あぁ。」
ハイネが慣れた手つきでポットを温め紅茶を淹れる。
暖かいカップを受け取ってリビングのソファに座ると、ハイネも足を組んで座って紅茶を一口啜る。
すぐに話し始める気がないのか、ローテーブルに置きっぱなしの菓子箱からジンジャークッキーを摘まんで食い始めた。
手の中のカップから立ち込める湯気に混じって、アールグレー独特の香りが鼻をつく。
ハイネと二人、無言のまま向き合ってることにだんだん耐えられなくなって、俺が口を開きかけた時、ハイネが俺の方に顔を向けた。
「…お前、疲れねぇ?」
「え?」
「そんなに気ぃ張ってて疲れねぇかって訊いてんの。」
「…別に気を張ってるつもりなんて」
「無いってか?あれだけ神経質にルール決めて、ピリピリしてんのに?」
ハイネがちょっとあざ笑うようにそう言った。
視線を外して唇をわずかに噛み締める。
鋭い人だとは思っていたけど、こうも言い当てられてしまうと返す言葉も見つからない。
「別にこの生活が苦痛なら出てっても構わねぇんだぜ。この階でいいなら用意するし、別のマンションにとってもいい。」
「え?」
「金銭面の心配なら今と全然変わらないくらいにはしてやるから問題ないし。」
「何で…」
「元先輩だからかなー。ルームメイト予定者分捕っちまった罪滅ぼしっていうのでもいいし。とにかく、お前がメリットを感じてないなら、一緒に暮らしてても辛いだけだろ。」
底の方に残っていた紅茶をグイッと飲み干して
空になった紅茶のカップを持ってハイネが立ち上がる。
「ハ、ハイネは感じてんのか!?この生活に!」
「俺?バリバリよ。」
「それ、何?」
歩き出した背中に投げかけた俺の言葉に、ふと足を止めて
ゆっくり振り返ると、綺麗な顔を柔らかく崩して微笑んだ。
「内緒。」
そう言うと踵を返して、スタスタとリビングを出て行ってしまった。
メリット…
メリットか…。
軍務に就き続けるにしても、家は出ようと思っていて
ラスティにルームシェアをしようと持ちかけた時は、単純に生活が楽になると思ったからだ。
家賃も生活費も二人で割れば、大分余裕が出来るとそう思ったからで
相手にラスティを選んだのは気心が知れてる仲間だから。
生活をしていく上でそんなに揉めることも無いだろうと…。
それが突然ハイネも一緒に生活することになったのは、驚いたけど純粋にとても嬉しかった。
いろんな意味で憧れていたし、ハイネのことをもっと知りたいと思っていたから。
でも、こんなにしんどい思いをして、ぎこちないままで一緒に暮らすメリットがあるかと言われれば
…思いつかない。
家の保障はされてる。金銭面の問題は要らない。一人で気ままに暮らせる。
ラスティがずっとやってくれてた食事の支度を自分で全部やるのは大変だろうが、でもそれだってそれほどの苦じゃない。
これ以上ハイネと一緒に暮らして、幻滅されるんじゃないかと悩み続けるよりはずっとそっちの方が良いんじゃないのか?
そう思うのに、思い切れないのは何でだ。
「ミゲル、どうかしたのか。」
「え?」
「さっきから溜息ばかりついてるだろう。手元も留守になってるぞ。」
「うわ、やべ。」
「何か考え事か?しっかりしてくれよ。」
「あぁ。悪ぃ。」
アスランが呆れたような顔で俺にディスクを渡す。
苦笑してそれを受け取りながら、思わず溜息をついた。
仕事にまで引きずるなんて、ホントどうしようもねぇな。
そんな俺を気遣ってか、ポンポンと背中を叩くと少し明るい声でアスランが言った。
「ほら、もう帰ろう。遅くなると雨がひどくなるしな。」
「雨?」
「ニュース見なかったのか?今日は午後から雨だろう。もう大分降ってるぞ。」
「…マジかよ。」
外を見遣ると、灰色の空からバラバラと大粒の雨が落ちてきている。
その遠慮のない降りっぷりに更に溜息が重くなる。
…傘なんて持ってきてないっての。
昨日からずっとボーっとしたままだったから、朝のニュースなんて右から左。
そう言えばラスティが何か言ってたのも、全然頭に入ってなかった。
またアイツに嫌な思いをさせただろうか。
寂しそうな笑顔が脳裏に甦って、唇を噛み締めた。
「ミゲル!」
聞きなれた明るい声にハッと顔を上げた。
金属的な軍のエントランスホールに似つかわしくない、オレンジに縁取られた明るい笑顔。
ラスティと、ハイネ…?
「お疲れさま!…傘、忘れてったっしょ?」
「あぁ…でも、何で」
「バーカ、迎えに来たんだよ。」
ハイネがクスクスと笑いながら、コイツがうるさいからとラスティを小突く。
だって家族じゃんかと、当たり前のように言って笑うラスティ。
そんな二人の様子に心がじんわり温まるのを感じる。
お節介かもしれないけど、やっぱり心配だからとそう言って、ラスティが俺に傘を渡した。
手渡された傘に、ほのかに残る温もり。
ポンと開いた傘を並べて、三人で雨の中に踏み出していく。
バタバタと傘に当たる雨の音が三人分。
あぁ、メリットって…もしかしたら
「せっかくだから、今日はこのままメシ食って帰るか。」
「ホント?やっりー!俺ビーフシチューが食べたい!」
こういうこと、かも知れない。
「なぁ…」
「うん?ミゲルは何食べたい?」
「決まり、無くそうか。」
俺の紺の傘の向こうで、ラスティが一瞬目を丸くして。
赤い傘の向こう側から覗き込んだハイネがちょっと意外そうな顔をして。
二人同時に、顔を柔らかく崩す。
「うん!」
久しぶりに聞く弾んだ声に、思わず手を伸ばして髪をクシャクシャ掻きやると
ラスティがその手をいきなり掴んで
反対の手を伸ばしてハイネの手を取って
傘が落っこちて、雨がバラバラと全身を濡らしていくにも構わず、俺の腕とハイネの腕をぎゅうっと痛いくらいに抱き締める。
その様子があまりにいじらしくて、可愛くて、振り解けない。
慌てて俺とハイネが傘を重ねて入れてやると、濡れた前髪の間から見える瞳が雫でキラキラ光りながら細くなる。
思わず傘を持っていた手を離して、袖口で顔を拭いてやってた。
後から後からこぼれ落ちてくる雫を全部拭い取るように、ずっとずっと。
「あーぁ、三人入れる傘を探さねぇとなぁ。」
ハイネが呆れたようにそう言って、笑った。
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【反省と言うよりむしろ言い訳】
一緒に暮らしてると意識した途端に、ドキドキしてしまう気持ちってありますよね。
2005.12.11
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