いつでも自分が正しいなんて自信はない。
寧ろいつだって自分がしたことを省みては、後悔することばかり。


けれどいつまでも後ろを見ていたって、やっぱり何も変わらない。
前に進むためには行動するしかなくて、そのためにはたった一瞬でも自分を信じるしかないんだ。









P u Z z L E ...5







すごい。


あたしは目の前で繰り広げられるラリーの応酬に釘付けになっていた。
ユニフォーム姿の彼らを見たのも初めてで、それだけでも練習の時とは格段の違いを感じる。
空気を震わせて響く、突き抜けるようなインパクト音に背筋がゾクゾクと震える。
普段ふざけあって笑う彼らが、目を輝かせとても生き生きとボールを追いかけるその姿に目を離せない。
テニスの試合って、こんなに熱気の篭るものだっただろうか。




「ゲームセット ウォンバイ ルドルフ 6−3」




ダブルス1の試合はルドルフに軍配が上がった。
両チームが握手を交わすのを見て、知らず止めていた息を吐き出す。


…すごかったな、向こうのコンビネーション。
粘り強い樹くんと首藤くんのコンビを、サラリと受け流して捻じ伏せた。
ベンチに下がってきた六角メンバーに、部員たちから叱咤激励の声が上がる。
励ます声も檄を飛ばす声も、どちらもとても温かい。…この温かさが六角の良いところだと思う。


入れ違いに佐伯くんがコートへ出て行った。
向こうから出てきた選手に笑顔で何か話しかけ、手を差し出す。
そうでなくとも無愛想だった相手の選手が、苦りきった表情を浮かべてプイと背を向ける。
佐伯くんは全く気を悪くした様子もなく、寧ろどこか楽しんでいるような微笑を浮かべてる。
…知り合い、なのかな?




「裕太くん、失礼ですよ。」




ベンチコーチに窘められて、相手の選手が渋々佐伯くんの手を受けた。
交わした握手は、左と左。
好戦的な視線がぶつかる。
離れていった二人がそれぞれの位置に着き、審判がゲームの開始をコールした。




「相手も、サウスポーなんだ。」




ボールを持って半身に構えた相手選手を見て、マリちゃんがポソっと呟いた。
そう言えば、ラケットを左に持っている。
…だからさっき左手で握手したのか。
サウスポー対サウスポーって、あんまり見たことがないから新鮮。
けれど、ノートをボールペンでコンコン叩きながらマリちゃんは渋い顔だ。
隣のバネくんを見上げても、あまりいい顔はしていない。




「どうしたの?」
「相手も左じゃ、やり難いんじゃない?オーダー間違えたわね。」
「いや、相手はそれを狙ってきたんだろう。うちに練習試合の申し込みしてきたのも、一つはそれがあるはずだ。」
「え?」
「ルドルフの不二裕太。『左殺し』と呼ばれてる。」




バネくんがそう呟いたのと同時に、不二くんが高く投げ上げたボールを打つ音が響き渡った。






マリちゃんが言ったとおり、佐伯くんは少し打ちにくそうだった。
それは、相手が左利きだからということもあったかもしれないけど
不二くんの返球が早すぎて、得意のネットゲームに持ち込めていないのも大きな要因だった。
…ライジングショット。確かそんな名前だった気がする。
氷帝にも、あんな風にボールが跳ね上がり際を打ち返すプレーヤーがいて、その技の名前を聞いたことがある。
返球が早くて深いから、自分の有利に試合を進められるんだ、って。




「ゲーム1-0、聖ルドルフ リード」


「あぁ…取られちゃったか。」
「まぁ、相手のサービスゲームだったし。サエ!次一本決めるぞ!」
「サエさん!取れないボールじゃないッスよ!!」




六角メンバーが口々に応援の言葉を飛ばす。
サーブ&ボレーヤーと聞いてるから、サービスゲームは勝算があるんだろう。
けれど不二くんのライジングは完璧で、ネットにつくより早く佐伯くんの横を綺麗に抜き去る。
速い。そして上手い。
彼のリズムは全然狂わない。
完全に聖ルドルフペースと言ってよかった。
佐伯くんはそのサービスゲームも落とした。


いつもの彼らしくないリードのされ方に、六角メンバーも少し動揺したように声を掛けあぐねてる。
逆に向こうの応援が熱を増して、ベンチコーチは嫌味ったらしい薄笑いを浮かべながら髪を弄ってる。
どこからか、千葉の古豪も大した事ないな、なんて笑う声がしてカチンと来る。
そりゃ、相手のライジングが凄いってのはわかったけど
でも、十分佐伯くんだって凄い人だと思う。
氷帝だってライジングショットとボレーヤーが対決したら、ボレーヤーが勝ってたぞ!(私が観た時は、だけど)
佐伯くんも佐伯くんだ、こんな時まで笑顔浮かべて、悔しくないの!
六角一のサーブ&ボレーヤーなんでしょ、真価を見せてみろコノヤロウ!!




「佐伯ーっ!どうした、足が止まってるぞ!しっかりしろ!」




思わず叫んでしまってからハッとした。
…つい大声で呼び捨ててしまった。いや、それ以前の問題だあたし。
ちょうどサーブが入れ替わるところだったのと、あたしの言葉が思いのほかはっきり通ってしまったので、
全員の目があたしに向けられた気がした。
うげっ、まずい。
あぁ、バネくんもマリちゃんもきょとんとしてる。
剣太郎くんも樹くんも木更津くんも首藤くんも、あたしが怒鳴ったことに目を丸くしてこっちを見てる。
この気まずい空気に冷や汗ダラダラ。
あたしのバカ、テニスど素人のクセに何て偉そうなことを!!




「あはははは!」




脊髄で物考えるクセどうにかしなきゃ、と、穴があったらマグマに沈みたい気持ちでいっぱいの空気を取っ払ったのは
明るく突き抜けるような佐伯くんの笑い声だった。




「オッケー、ちゃん。頑張るよ。」




片手を上げてにっこり笑って見せる。
けれど次に不二くんを見据えたその瞳は、獲物を狙う虎の目だった。
透き通る、どこまでも澄んで深い、底光りのするような
怖いのに目を離せないのはどうしてなんだろう。


不二くんの左腕が振り下ろされて、サーブが飛び込んでくる。
佐伯くんがそれを難なく返して、不二くんがライジングで応じたところまではそれまでと同じだったのだけど。


速い…!


佐伯くんがリターンと同時にもの凄い速さでネットに付いて
速い打球を不二くんの真横に打ち返して、決めた。
それまで抜かれていたのが嘘のように、あっという間にネットに詰めオープンスペースにボレーを返す。
視野が広い。死角を逃さない。
そのゲーム、佐伯くんは相手に1ポイントも与えずに取った。


佐伯くんのサービスゲームは更にスピードが上がる。
ジリジリとポイントを重ねる佐伯くんに、六角は沸きあがった。




「サエのヤツ、の一喝でスイッチ入ったみたいだな。」
「ホント。ちゃんの檄、超カッコよかったよー!ちょっと驚いたけど、胸がスカッとした!」
「…そ、そう。」
「よーし、追い上げムードだサエ!!このままサービスゲームをキープしろ!!」




バネくんの言うとおり、まさに今は六角ペースだった。
コートを取り巻く空気が佐伯くんの背中を押していた。
けれど、佐伯くんを見返す不二くんの目の色が俄かに熱を帯びて
次の瞬間、あたしには何が起きたかよく解らなかった。
鎌首を擡げた打球が佐伯くんの足元で跳ねたかと思うと、思いも寄らない跳ね返り方で佐伯くんを襲った。
ガシャーンと音を立ててフェンスを震わせ、食い込むようにその場で止まった。




「あれが、『左殺し』のツイストスピンショット…」




バネくんが呆然と呟いた。
まさにそのボールのごとく、不二くんの気迫と執念が襲い掛かってくるようで、あたしもその場から動けずにいる。
あんなの一体どうやって返すというのか。
愕然としたあたしの視線の先で、佐伯くんがラケットを肩に押し当ててポンポンと軽く弾ませる。
チラとベンチを振り返ったその瞳と一瞬視線が絡まって
僅かにその唇が微笑んだ気がした。








「ゲームセット ウォンバイ ルドルフ 6−1」




コート上の二人が軽く握手して、それぞれのベンチへと引き上げる。
あたしはそれを呆然と見つめるだけだった。


こんなに圧倒的な差がつくほど、実力に開きはない筈だ。
しつこいくらいのマークと、どんなに速いボールも見逃さない動体視力。
相手が音を上げるまで追い詰めて、置き去りにしてしまえる持久力。
相手をいつの間にか自分のペースに巻き込むのも得意なはず。
1ゲーム取ったところからは完全に追い上げムードだったのに、どうして…


一つ思い当たる節があるとすれば、彼は


マリちゃんに突付かれて、慌てて佐伯くんの側まで行くと、握り締めたままだったタオルを渡す。
タオルで汗を拭きながら、佐伯くんがあたしを見下ろしてるけど
何て声を掛けたものかと戸惑って、俯いてしまう。




「ごめんね、ちゃん。」
「…あたしに謝ることないでしょ。」
「だって折角応援してくれたのに、格好悪いとこ見せちゃったでしょ。」
「じゃあ何で…!」




言いかけて、グッと言葉を詰まらせる。
俯いたあたしの視線を追いかけて、佐伯くんが腰を屈める。
あたしは間違ってるのかも知れない。
練習試合だから、結果なんて別に構わないのかも知れない。
あたしは部外者でしかないから、こんなこと言ってはいけないのかも知れない。
でも悔しくて、訊かずにいられない。
躊躇うあたしの背中を押すように、佐伯くんが微笑んだ。




「いいよ、言って。」
「……」
ちゃん?」
「何、で」
「うん」




「何で、わざと負けたの…?」




あたしがその一言を小さく口にした途端、佐伯くんは黙ってしまって
スッと顔を上げると、あたしの質問に答えることなく離れて行ってしまった。
…やっぱり聞いちゃいけなかったのかも知れない。
剣太郎くんと話をする背中を見つめながら、ほんの少し後悔する。
気分を害しただろうか。
彼が本気でやって負けたのだとしたら、これほど失礼な言葉はないだろう。
でも、あたしはどうしても、彼がわざと負けたとしか思えなかった。


言ってしまったことは取り返せないし、仕方ないとコートに視線を向ける。
コート整備が終わって、これからシングルス2の試合が始まろうとしている。
羽織っていた上着を脱ぎ捨てて、バネくんがラケットを取った。
ネットを間に向かい合う背の高い二人の選手を見ていたら、ふと横に人の気配を感じて
いつの間に来たのか、佐伯くんがそこに立っていた。




ちゃん、ちょっと一緒に来てくれる?」
「え?でもまだ試合が…」
「大丈夫、剣太郎には言ってあるから。」




そう言ったっきり背を向けてスタスタと歩いて行ってしまう。
困って辺りを見回しても、みんな始まった試合に釘付けでそんな佐伯くんを咎める人もいない。
少し迷って、仕方なくあたしは小走りに後を追いかけた。


佐伯くんは後ろを振り返りもせず、プール脇の方へと歩いていく。
その後をついて行きながら、一言も喋らない彼に少し不安になってくる。
…やっぱり怒ってるんだろうか。
素人の癖にわかった振りするなと怒られるだろうか。
振り返ると、もうみんなの姿はほとんど見えなくて、そのことにまた不安になる。


足を止めた佐伯くんに心臓がひとつ跳ねた。
思わず両手をお腹の辺りで握り合わせる。
指先の辺りが冷えてきたのが解った。




ちゃんはホントによく見てるね。」
「…え?」




その声は予想していたよりずっと穏やかだった。
振り返った表情も柔らかくて、寧ろ鬼のように強張ったあたしの顔を不思議そうに眺めてる。
張り詰めてた緊張が一気に解けて、思わずその場にしゃがみ込んでしまいそうになった。




「おっと、大丈夫?」
「ご、ごめん。気が抜けて…」




佐伯くんに支えられて、何とか体勢を持ち直す。
殴られるのかと思ったと言ったら、佐伯くんが目を丸くして驚いた。




「何で殴るの?」
「怒らせたかと思った…さっき言ったことが間違ってて」
「間違ってないよ。気付かれたことに驚いただけ。」




…やっぱり、負けたのはわざとだったんだ。
苦笑した佐伯くんを見ながら、けれど次に言う言葉を探しあぐねてあたしは押し黙る。
これ以上、あたしが踏み込んでいいのだろうかという懸念が頭を擡げる。
あたしは所詮部外者で、たまたま出会って手伝っただけの他人。
佐伯くんの真意を聞いたところでどうにもならない。何をする資格もない。
さっきはただホントに、どうしてと憤る衝動に任せて言ってしまったけれど、やはり言うべきではなかった。
そう言えば、佐伯くんはどうしてあたしをここまで連れて来たんだろう。
怒ったり殴ったりするのでなければ、どうして




「不二くんはね、俺の友達の弟なんだよ。もっとも、そう言われるのをとても嫌ってるんだけど。」




あたしの葛藤を知ってか知らずか、佐伯くんが口を開いた。
不二くんのお兄さんと友達?
ああ、だからあの握手の時に不二くんが顔を顰めたのか。
友達の弟だから負けてあげたとでも言うんだろうか。
ジッと見上げるあたしの目を受けて、佐伯くんが薄っすらと微笑を浮かべる。




「だからね」
「ストップ。それは嘘」
「…まだ何も言ってないけど。」
「その顔は信用してない。」




プイと顔を背けたあたしを見つめる視線を感じる。
佐伯くんが何を言おうとしたのかはわからないし、それを嘘だと思ったのもただの勘でしかなかった。
でも今までたった4日だけど一緒にいて、六角のみんながあたしを仲間みたいに扱ってくれたその時の雰囲気とは違う。
あたしのことを信用していない、本当のことを話すつもりはない、そういう顔をしてる。


どうして、って訊いたのはあたしなのに、嘘をつくぐらいなら話してくれなくていいなんて我が侭、子どもみたい。
でも嘘をつかれるのは嫌だった。
信じてる人につかれた嘘を信じて、泣いて傷付くのが嫌だった。




「参ったな、完敗。」




佐伯くんが両手をバンザイの形に上げて、頭を少し擡げた。
ちょっと困ったように笑って、あたしを見返す。
その裏に隠されてる真意なんて全然読めないけれど、さっきとは違う、いつもの佐伯くんの顔をしていた。




「何で嘘ってわかった?」
「…わかんないけど、勘。」
「勘か、ちゃんには敵わないなぁ。ホント意表を突かれることばっかりだよ」




それはこっちの台詞だと言いたい。
佐伯くんの行動は予測が付かないし、ホントは何を考えてるのかもよく解らない。
はぁ、と溜め息をついたあたしを見て、ようやく佐伯くんが笑いを引っ込めた。




「さっきの技見ただろ、ツイストスピンショット。」
「あ、あのボールが変な方向に跳ね上がるやつ?」
「そう。凄いショットだ。簡単に打ち返せる球じゃない。でも打つ方の体にかかる負担も大きい。」
「あっ」




…それで?
不二くんの体のことを考えて、わざと負けたの?
彼のプライドを守るために、誰にもそうと気づかせずに負けたの?
交わした視線からあたしの言いたいことを悟ったんだろうか、佐伯くんがちょっと肩をすくめて笑った。


ずるいね、佐伯くんは。
みんな一人で解ってて、色んな人の気持ちを先回りして、それで全部自分で引き受けちゃうんだね。
でも、自分の対戦相手まで思いやれるその優しさが、逆に人を傷つけることはないのだろうか。
相手のことを思いやったつもりが、余計に相手を傷つけることにはならないのだろうか。
心の片隅に仕舞ってあった、 決着がついたはずの気持ちが燃え残った熾きのように燻り出して、モヤリと黒く霞ませる。




「…佐伯くんは、誰かと付き合ってて他に好きな子ができたら、どうする?」
ちゃん…?」




言ってしまってからハッとした。
あたしは一体彼に何を訊こうとしてるのだろう。




「ご、ごめん、今のなし!」




慌てて両手を目の前で振った。
今日は何でこんな失言ばっかりしちゃうんだろう、あたし。
思わず頭を抱えたあたしに、妙にキッパリとした声が落ちてきた。




「俺は他の子を好きになったりしないよ。」




顔を上げたあたしの目には、とても真面目な顔の佐伯くんが映った。
ふざけたり、からかったりしてる風には全然見えなくて、彼が真面目にあたしの質問に答えてくれたのだとわかった。
けれどそれは全く予想してなかった答えで
キョトンとしてしまったあたしを見て、彼が頬を緩めて苦笑した。




「俺ってそういうイメージ?彼女がいるのに二股かけるとか」
「え?いやそうじゃないんだけど、あの、仮定の話で。」




自分で質問したクセに、うろたえてしまう。
何か誤解されたかな。
もっともそれまでの会話と全然脈絡がないから、誤解しかしようがないと思うけど。




「俺は同時に二人を愛せるほど、器用じゃないんだけどな。
 好きになったらその子しか見えないし、その子しか欲しくないし。」
「…ストレートだね。」
「でも、そうじゃない?
 その子が好きで付き合ったんだから、その子がいるのに他の子なんて目に入らない」




返す言葉もない。
会ったこともない「さっちゃん」が、ちょっと羨ましくなった。
こんなにはっきり言い切ってくれる人、そうそういないんじゃない?
彼ならきっと、相手に別れようと言われても簡単には引き下がらないんだろうな。


納得したつもりで中途半端に片付けられてた気持ちが、今度こそ本当にサラサラと浄化されるのを感じる。
…傷つけられたと人の所為ばかりにしないで、あたしももっと自分を省みよう。
過ぎ去ったことを振り返るより、今度こそ先を見よう。


ニコッと笑った佐伯くんにあたしも笑い返す。
何となくありがとうと言いたくなって、口を開きかけて、ふと、遠くからあたしたちを呼ぶ声がするのに気付く。
振り返ると、コートの辺りにわさわさと人が集まってる。
あ、もしかして試合が終わったのかな。
相手チームと挨拶して、解散するんだきっと。
そのまま歩き出そうとしたあたしを、後ろから佐伯くんが呼び止めた。




ちゃん、観に来てくれない?地区大会。」
「佐伯くん?」
「今度こそ、勝つところを見て欲しいからさ」




ポケットに手を突っ込んであたしを見つめながら、佐伯くんがそう言った。
そうだな、この人が本気で勝つところを見ていない。
それを観に行くのも悪くない。
あたしはニッと笑いかけて、小指を出した。




「いいよ。じゃあ約束ね。」
「指切り?可愛いなぁ、ちゃん。」
「もう!今度こそ絶対勝ってね。」
「じゃあ俺が一回も負けずに優勝したら、一つお願い聞いてね。」
「え?」
「ゆーびきーりげんまん、嘘ついたらはーり千本飲ーます!」




あたしの返事を待たずに、佐伯くんは勝手に指切りしてしまった。
指切った、とお約束の文句を言って、絡まった指が離される。




「よし、これで約束。」
「ちょ、ちょっとあたしまだ良いって言ってない!!」
「もうダメ、指切ったから。大丈夫だよ、大したことじゃないし。ほら集合だ、行こう行こう」
「…ホント強引。」




でも、まぁいいか。
お願いと言ったって、今までのことから考えても、そんなに無茶苦茶は言わないだろうし、強要しないだろう。
今ごちゃごちゃ言ってもどうせ無駄だし、約束したからには従うしかない。
諦めて溜め息をついたあたしは、笑顔の佐伯くんに促されるままコートの方へ歩き始めた。










あれ?
駅のホームのベンチに、見たことのある姿を見かけて立ち止まった。
ドアひとつ分くらい先だろうか、長い足を持て余し気味に組んで、ハードカバーの洋書らしきものを読んでいる。
きちんと締められたネクタイやプレスされたパンツ。
見るからに几帳面そうで、ともすると近寄り難いほどのオーラを漂わせてる。
聖ルドルフの、ベンチコーチの人だ…。
確か、観月くんと言っただろうか。みんながそう呼んでいたのを思い出す。
解散してから少し練習していった六角と違って、ルドルフの人たちはもうとっくに帰ってしまった筈。
彼のほかに部員たちの姿は見えないけど…彼は一人どこかに寄っていたのだろうか?


こちらには気付いていないようだけど、あたしはそっと視線を外した。
本を読んでいるようだし、わざわざ話しかける仲じゃない。
あたしも持っていた鞄から小説を出して、立ったまま読み始めた。
今うちのクラスでちょっと流行ってるファンタジー小説。
最近文庫版が出たので、あたしも借りて読み始めたんだ。




「おや、あなたは六角のマネージャーさんでは?」




いきなり声を掛けられてギョッとした。
思わず左右をキョロキョロと見回してしまう。
当然のようにそれはあたしを指して言われたことなのだけど、出来れば別の人であって欲しいと思ってしまった。
そうっと振り返れば、鞄を肩に掛けた観月くんがそこに立っていた。




「お、お疲れ様です…。」
「奇遇ですね。あなたは電車通学なんですか。」
「あの、あたしは六角生じゃなくて期間限定でのお手伝いなんです。正規のマネージャーさんが怪我してたので。」
「ああ、そうでしたか。」




にっこり笑った観月くんに、ちょっとホッとしてあたしも微笑を返す。
なんだ、試合の時は怖そうな人かと思ったけど、案外いい人なのかも。
けれど次の一言に、あたしは心臓が凍りつきそうなほど驚いて言葉を失った。




「僕はてっきり、氷帝の諜報要員かと思っていましたよ。」




あまりに驚きすぎて、息が止まるかと思った。
心臓がいつもの倍くらいの速さでドクドクいってて、瞳は限界まで見開いて瞬きを繰り返す。
胸に抱えた本をギュッと握ることで、震える指先を抑えようとした。
今日は私服だし、ジャージだって学校指定のものじゃなかった。
…それなのに、なんで、あたしが氷帝の生徒だと気付いたのだろう。




「おや、図星でしたか?」
「…違います。」
「まあ僕としてはどちらでも構いませんが。」




それだけ言うと、踵を返してまたベンチに戻って行って座り直した。
挑発されたのだろうか。
彼が声をかけて来た意図は解らないけれど、あたしに何らかの敵意みたいなのがあったのは確かだ。
けれど正直ほぼ初対面に近い彼にあんな失礼な言い方をされては、いくらあたしでもムッとせざるを得ない。
…そっちがそのつもりなら、こっちだって言わせてもらおうじゃないか。
握り締めてた本を鞄に放り込んで、あたしは気合を入れてからベンチに歩み寄った。




「あのっ、観月くん!!ひとこと言わせてもらいますけど」
「騒々しい、怒鳴らないでください。公共の場ですよ。」
「す、すみません。って違う、あたしが言いたいのは」
「とりあえず掛けたらどうです。」




柳に風、とはこういうことを言うのだろうか。
あたしの勢いはサラリとかわされて、逆に観月くんのペースで話を進められている気がする。
渦巻く憤慨を胸に抱えつつも怒鳴るなと言われてしまった手前、大声で発散するわけにも行かず、悔し紛れにドスンと椅子に座ったら観月くんが呆れたように肩をすくめた。




「随分品の良い方ですね。」
「どうも。ところで観月くん、ひとこと言わせていただきますけど」
「あなたが諜報員かどうか、ですか?それならもう結構ですと」
「違う、不二くんの話です!」
「裕太くんの?」
「あのツイストなんとかって技、体に良くないですよ。あんまり打たせない方が良いと思います」




体に良くない、と言い切ったのは、佐伯くんの優しさをフイにしたくなかったから。
彼が真剣に負けた振りをした以上、あたしがそれを台無しにしてはいけない。
観月くんは片眉を少し上げて意外そうな顔をしたけれど、すぐにそれまでと同じ、どこか嘲るような表情に戻った。




「何を言ってるんです、あなたは。」
「ホントです!あの技はホントに体に負担がかかって、肩を壊すかも知れないんですよ!」




あたしを馬鹿にしたような顔で信じようとしない観月くんに、一生懸命食い下がって教えてもらった説明を繰り返す。
けれど観月くんはクスッと一つ笑いを零すと、宥めるような瞳になってあたしを見た。




「あなたは、僕たちが何のために全国から集められたかわかりますか。」
「え?」
「勝つためです。僕たちの中にそれ以上の理由はない。」




最後はキッと瞳に力を入れてそう言い切った 観月くんの言葉が頭の中を反芻する。
その意味を理解した時、 頭から冷水を浴びせられたように、さあっと全身が冷えていった。
つまり、彼は…危険があるのを知っていて、その上で不二くんにあの技を打たせていたと…?
眉一つ動かさず平然とそんなことを言ってのける観月くんに、冷えた頭に一気に熱が上った。




「勝つことは大事かもしれないけど、そんなやり方間違ってる。学校の部活なのに…!」
「あなたには関係ないでしょう。」
「関係ないけど、簡単にそうですかと引き下がることなんて出来ません!」
「ではお聞きしますが、あなたは一体どういうつもりでいるんです。」
「え?」




それまで僅かにでも穏やかさを保っていた瞳が、急激に冷気を帯びる。
語気は変わることなく、目に見えて態度が変わったわけでもないのにはっきり感じられるその怒気。
あたしは、彼に責められている。




「他校の部活動に携わって、うちの部の事情に口を挟んで。それでいて自分の学校のテニス部にも愛着はありますね。」
「…それは、多分、そうです」
「そういう中途半端な態度で関わられては迷惑です。もちろん信用も出来ません。我々とて遊びで部活をやっているわけじゃない。」
「……」
「真剣なんですよ。部外者に遊び半分でかき回されては困るんです。最後まで責任が取れないことは口にしないでください。」




最後まで声を荒げることなく、表情を大きく崩すことなく、観月くんは冷たい瞳でそう言った。
まるでこれ以上テニス部に関わるなと、三校の代表としてあたしに釘を刺したように聞こえる。
一つ一つの言葉はとても重くて、実際あたしの胸にズンと響いて喉を熱く貼り付かせる。


あたしは部外者で、テニスは素人で、ちっとも物を考えなくて脊髄で行動する。
観月くんの言うように中途半端で、責任の取れないことを平気で口にしてしまったのかもしれない。
でも、あたしはあたしの思いで行動してる。それは決して遊び半分なんかじゃない。




「テニスをする人を見るのが好きで、応援したいと思うのは間違ってますか。」
「…ですから」
「あたしは、テニスが好きな人に出来るだけ長くテニスを続けて欲しい。自分に何か出来るなら手伝いたい。それだけです。」




感情を抑えて静かにそう口にしたあたしを、観月くんは黙ったまま見ていた。
あたしとはもう論議しても無駄なのだと思ったのだろうか。
プワー…と警笛を鳴らしながら電車がホームに滑り込んできて、あたしもそこから口を開く機会を失った。
あたしたちはお互いに何も話さないまま、同じ車両に乗り込んだ。


電車は家路に着く人たちでいっぱいで、あたしたちの後からもどんどん人が乗り込んでくる。
ぎゅうぎゅう押されて波に呑まれそうになったあたしを、観月くんはスッと自然に誘導して角のスペースに庇ってくれた。
悪態は吐いてもこういう時は紳士なのだと思えて、そんな大人の態度も少し憎らしかった。
俯いて小さくありがとうと呟いた声は、届いていたのか。
あたしたちは乗換駅まで一度も視線を合わせなかった。




「じゃあ、あたしこっちなので…」
「ええ。」
「あの、どうもありがとう。」




もう一度、今度は顔を見てお礼を言うと、あたしはそそくさと彼に背を向けて歩き出そうとした。
けれど、彼の穏やかな声がやんわりとあたしを引き止める。
もしやまだあの話が続いているのかと、(情けないけど)ビクビク振り返ったあたしに、観月くんが腕を組んで髪を弄りながら薄っすらと微笑みかける。




「そう言えば、お名前を伺っていませんでした。」
「…名前、ってあたしの?」
「他にどなたか心当たりでも?」




言っていなかったっけと思うのが半分。知ってどうするんだろうと思うのがもう半分。
けれどあたしが知ってて彼が知らないと言うのも不公平だろうし
言ってもいないのに氷帝生だと見抜いた彼に、今隠したところでいつかは知られることだろう。
それなら自分から名乗っておいた方が安心出来ていい。




です。」


「名前の響きはとても綺麗ですね。覚えておきます」




そう言って柔らかく微笑むと、観月くんは踵を返してスタスタと歩いて行ってしまった。
人込みに見え隠れするその背中は、悔しいけれどとても真っ直ぐで綺麗で
あたしもクルリと背を向けると、ピンと背筋を伸ばして歩き出した。
髪が短くなった分、すっきりと見えるようになった首筋を真っ直ぐ伸ばして、前を向いて
それだけで気分が変わって、なんだか足がどんどん前へ進んでいく感じ。
明日からまた始まる学校の前に、今夜はに電話をしようかと、ホームに続く階段を上りながらそう思った。




menu



【反省と言うよりむしろ言い訳】


試合を入れたので、ちょっと長くなってしまいました。
氷帝・六角に新たにルドルフが加わり、『他校mix』らしくなって私は大変嬉しい。
GWが終わって、次は氷帝に戻ります。

2008.05.07