静かに散った花が、種を残して、芽を出し蔓を伸ばし


もう一度、その花を見せる日が来るように


いつかきっとまた巡り会うから


 

 


笑顔一粒...10

 

 

届かなかった。




空を切った手が指先までカチコチに固まって、指を畳めばギシギシ鳴りそうだ。
震える指でボタンを押して扉をもう一度開けても、もうそこにミゲルはいなかった。
遠ざかる足音だけが聞こえる。
今度こそ本当にもう、あの心は遠くに行ってしまったんだ。
目の奥が熱くなって、鼻がツンと痛くなる。
ギュッと目を閉じたままうずくまって、膝に鼻を押し当てた。


嫌いって言われたらどんなにか楽だったろうに。
好きになってもらえるかもしれない、そう思って、夢を見て生きていけるのに
ううん、もしかしたらキッパリ諦められたかもしれないのに
こんな終わりは思っても見なかった。
嬉しくて、同時に死ぬほど悲しい。
夢を見ても、この恋は永遠に実を結ばないのだから。




エレベーターの扉が閉まって、静かに下降していく。
…あぁ、そうだ整備の仕事しなくちゃ。
遅くなったから急がないと終わらないかな。


…俺、この気持ちに正直になれたよね。
きっと前を向いて、言うことが出来たよね。
だからいつまでもグズグズ悩むのはもうやめようよ。
これ以上後悔することがある?
前を向いて突っ走るのが俺の取り柄だって、イザークも言ってくれたじゃんか。
まだまだやらなきゃいけないこともたくさんあるんだから、止まってる暇なんてないんだ。


ポツンと一粒零れた涙が床を濡らす。
そう、頑張らなきゃ。
…ほんの少しだけ泣いたら、また前を向いて歩かなきゃ。


シュウゥゥンとエレベーターが速度を落とす。
息を一つ大きくついて、目をギュッと閉じて頭を振る。
両手の指先で涙を拭った。
この扉が開いたら、ちゃんと前を向いて歩くんだから。
俺にも、また次の世界が開かれていくのだから。




















扉が開いたら










前を、向いて




















「………どうして?」




今この目に映るものが信じられなくて、バカみたいな顔をしてしまった。
だってもう俺の側にはいられないって言ったじゃないか。
あんなに叫んだって戻って来てくれなかったのに
どうして今、そこにいるの…?




「…理由がいるか?」




浅く速い息をして、額にうっすら汗を浮かべて
どれだけ急いでここまで降りてきたのか想像出来てしまう。
俺の声が届いたの?
こうして階段を駆け下りて、もう一度俺とちゃんと向かい合おうとしたんだと
そう、受け止めて良いの?




「泣き声が聞こえたんだよ」
「俺、の?」
「…自分勝手かもしれないけど、もう、これ以上お前が泣くのは見たくない。お前には、いつだって笑っていて欲しいんだ…」
「ミゲル…」
「正直、まだ自信がないけど、でもお前の言うようにわかろうとしようと思う。…わかりたいと思う。」
「…ホント…に?」
「あぁ、もう逃げるのはやめだ。お前を真正面から受け止めてみせる。」




ミゲルが俺の目を真っ直ぐ見つめる。
その瞳に誘われるように、足を踏み出す。
これは夢じゃないかな。足元がフワフワする。
俺の半歩後ろでエレベーターが静かに閉まった。
今、確かにミゲルの瞳に俺が映っているのが見える。
ミゲルがゆっくりと俺に両手を差し伸べた。




「おいで」




緊張したように固まってた表情が、和らいで
目が今までにないくらい優しくて




「おいで、ラスティ。」




そのくちびるが、俺の名前を紡いだ。










止まったはずの涙がまた溢れた。
真っ直ぐミゲルに伸ばした手が絡め取られて、体が強い力で引かれる。
まるで俺の周りだけ風が遮られたように、空気の流れが止まって
柔らかな感触が頬に当たって、伸ばした腕がミゲルの髪に触れて
温かい腕が俺をすっぽりと包み込む。
初めて抱きしめられた胸は、予想以上に優しかった。




「…ホント泣き虫な。」




抱きしめたまま、ミゲルが優しく俺の髪を撫でた。
そんな仕種がまた俺の涙腺を弱くする。
耳元で聞こえる声はいつも以上に胸に真っ直ぐ届く。
嬉しくて嬉しくて、涙が止まらない。
ずっとこの場所に来たかったよ。
ふっと腕の力を緩めて、グチャグチャの泣き顔を持ち上げる。
あぁ、ミゲルの顔がこんなに近くに見える。
それに気付いたミゲルが俺に瞳を向けて、少し首を傾げる。
俺はまた涙の滲みそうな瞳を緩めて、笑った。




「大好き。」




一瞬目を見開いて、それからミゲルは照れたように笑った。




「…花が咲いたかも。」
「花?」
「お前が俺にまいた種の、花。」




ミゲルの大きな手が俺の頬を掬い上げる。
ゆっくり近づくミゲルの顔に、慌てて目をギュッと閉じた。
まぶたの裏が暗くなるけれど、二人の間の空気は止まってしまったまま動かない。
薄く目を開けると、すぐ目の前に笑みを湛えたミゲルの顔。




「ギュって目ぇ瞑ってて…可愛い。」
「なっ…!!」




恥ずかしくなって顔が真っ赤になるのがわかる。
それを見たミゲルがまた笑うから、悔しくなってバタバタ暴れた。
宥めるように頬を撫でたミゲルの手が耳朶を触った時、思わず体が跳ねた。
クスクス笑いながら俺に顔を寄せる。サラサラの髪がおでこに触れる。
…ドキドキする。




「目、瞑ってて、ラスティ…」




触れる息がくすぐったくて熱くて、体中をムズムズが駆け抜ける。
閉じたまぶたの上を、細い指がなぞる感触。


髪に


額に


まぶたに


小さなキスが降るように下りてきた。
触れるようなキスはまるであの日のように
でも頬に感じる手のひらの熱は、確かに心に近づいた証。
長い指が額にかかる前髪をサラリと掻きやる感触。
触れられた場所から全身に痺れが走ってく。
そして睫毛が触れ合うキョリで、ミゲルが空気を震わせる。




愛してるよ…




視界がもう一度遮られて、アツイ熱と柔らかな感触がくちびるを包み込む。
乾ききった心が潤いを湛えて輝きだすようだよ。
泉のように湧き出して溢れてしまいそうな思いを、言葉にする代わりに全部くちびるに届けた。
重なっていく心臓の音も、絡まる指も、触れ合う息も全てが琴線を震わせる。
くちびるから溶けて、柔らかく沁み込んでいくようだ。




ねぇミゲル、本当に大切なものはきっと言葉にはならないんじゃないかな。
だってこの想い全部紡ぎ出すには、一生かけたって足りないくらい。
毎日毎日新しいミゲルを知って、どんどん走り出していく想い、深まる気持ち、高まる愛しさ。
どんな言葉を並べたって、何度生まれ変わったって言い尽くせない。




「お前が笑うと、幸せになるよ。」




ミゲルが俺の髪をくしゃりとかき混ぜながら笑う。
俺も自然と笑顔がこぼれて、それを見てまたミゲルが微笑んで俺を抱きしめる。




「お前がそうやって笑ってたら、どこにいたって見つけ出せるよ。」
「ホント?じゃあ俺がどこに行っても探しに来てくれる?」
「お前がこの手をすり抜けて行ったら、な。」




ギュッと背中に回る腕の力が増す。
大きく息をついて、その背中にもう一度手を伸ばした。








この手を伸ばして掴んだ世界は、今までのどんなものよりも愛おしい。
ミゲルがいることでこんなにも世界が変わる。
もうはぐれないように、決してこの手を離さない。
この手があれば、きっとどんなことも耐えられるとそう思うから。








もし俺が笑うことで君に何かが芽生えて、それが少しでも広がっていくのだとしたら
こんなに嬉しいことはない。
花は絶えてもまた次の芽を生むように、君の中で何かが廻ってくれると信じて
俺はいつでも君に笑いかけるよ。




どうかその瞳に映る俺は、いつでも笑っているように。
たとえ今日が最期になったとしても
決して悔いることがないように
君が幸せでいてくれるように
この心が少しでも君に寄り添っていられるように。




*
 *
*
 *
*
 *
*
 *




「お前ら、あんま待たせんなよ。」




そして今日もまた君へ思いを届ける。




「わかってる」








そう、最期の一瞬まで――――――

 

END




【反省と言うよりむしろ言い訳】



長々とお付き合いありがとうございましたvv




2005.