心細くなると、暖かさに縋りたくなる


普段気づかないその手の大きさに、初めて気づく


 

 

 …06 ぬくもり

 

 

「……38度5分。」
「完璧に風邪だな。」




体温計を見ながら、ミゲルとハイネが溜息混じりにそう言った。
俺は強制的に押し込まれた布団の中で、そんな二人をぼんやりと見上げてる。


…朝起きた時には、別にこれといって自覚症状を覚えることもなかったんだけどなぁ。
ちょっと寒気がするかなぁってくらい。それも最近不安定な気候のせいだと思って、エアコン付けて普通に朝ご飯の準備をして。
起きてきたミゲルがやたら部屋が暑いって言って、俺は寒いって主張して…
ちょっとよろけた拍子にハイネにぶつかったら、バチンておでこに手を押し当てられて
よくわからないうちに、そのまま部屋に引きずり戻されて
…今に至る。




「誕生日に風邪引くなんて、そうとう日頃の行いがいいんだな。」
「睡眠不足と不摂生。昨日も机で寝たんじゃねーの?」
「この頃ほぼ毎晩、徹夜でレポートとか作ってただろ、お前。」
「課題は計画的にこなせってアカデミー時代から言われてただろうが。」
「うー…」




次々に飛ばされる叱咤に言い返す言葉もなくて、口元まで布団を引っ張り上げて目線を外す。
ホント二人とも容赦ないし…。
ていうか一応俺、病人なんだろ…?
もうちょっとこう…何か言いようがあるんじゃないのかなぁ、ホントに。
あーしかも自覚したら何かだるくなってきたし。


大きく息を吐きながら腕を頭に当てると、やっとミゲルもハイネも小言を引っ込めた。
ハイネが俺の腕に手を伸ばして、着けたまんまだった腕時計を外してくれる。
ミゲルがもう一度体温計を眺めて、俺の顔を見ながら困ったように頭をかいた。




「しかし、参ったな。俺、今日は休めないんだよ。」
「別にひとりで大丈夫だよー。子どもじゃないんだしさぁ。」
「でもけっこう熱あるし、動くのだるいんじゃないのか。」
「んー…それはあるけど、でもすぐ治るし、平気。俺人一倍丈夫だから。」




顔を動かすのもかったるいけど、何とかそれでも笑顔を作ってみせる。
そうだよ、別にひとりで家にいるのなんて大したことじゃない。
家族と一緒に住んでたときだって、両親共働きだったからこういうことよくあったし。
それより。




「なぁ、ケーキ…苺のケーキ買ってくれるって約束は?」
「ダーメ。」
「…お前、自分が病人だって自覚あんのか?」
「ま、今日は諦めるんだな。」
「えー…まるいケーキ食べなきゃ年取れないのに…」
「お前は子どもじゃないんだろ?治るまで我慢しろっての。」
「ぶー。」
「はいはい、いい子だから寝んねしましょうねー。」




そう言いながらハイネがわしゃわしゃ頭を撫でて、ミゲルが布団を丁寧に直してくれる。
…結局子ども扱いしてんじゃん。
めっちゃくちゃ不満な顔をつくって見せるものの、抵抗したり反論する元気が出てこない。
何だよ、根性なさ過ぎだろ俺!




「じゃあラスティ、一応お粥作っておくから。食えそうだったら食って。」
「出来るだけ早く帰ってくるから、ちゃんと寝てるんだよー。」
「…わかってるよーだ。」




そう言いながらドアの向こうに消える後姿を見送って、熱混じりの溜息をつく。
…あーあ、ケーキ食べたかったなぁ。
この期に及んでも食い意地が張ってる自分に呆れるけど、でもまるいケーキが食べられんのって年に数回なのに。
大きく息をつこうとして吸い込んだ胸が変に重くて痛いのに、一瞬息を詰まらせる。
あー、やば。かなり熱あるんだなぁ、やっぱり。
いつもより枕や布団の肌触りが鬱陶しくて、熱いようなぬるいような変な感じがする。
次第に頭がガンガンしてきて、眉をしかめた。
枕元に置かれた水で薬を適当に飲み込んで、布団を被ってギュッと目をつぶる。
寝苦しさに何度か寝返りをうつ内に、いつしか俺は眠りに落ちていった。




















……暗い
ここは、どこだ?
宇宙…じゃない。星がひとつも見えない。
明かりも、人影も、何も見えない。
何も感じない。
上も下も右も左もわからないような、真っ黒に塗り込められた闇だ。


突然遠くから、細く闇を切り裂くような悲鳴が耳を貫いた。
思わず心臓が飛び跳ねてヒュッと息を詰めた。
怖くなって走り出すけどどっちに行ったら良いのかわからない。
真っ暗で方向も距離感も全然わからない。進んでいることさえ確信が持てない。
一生懸命走ってるつもりなのに、足が空を切ってるようでうまく走れない。
地面を蹴ってる感触がなくて、一歩蹴りだすごとに足が空中でばたついてもつれる。
声が遠くなったり近くなったりしながら追いかけるように響いてくる。
怖い、怖い、どうしよう。
どっちへ行こう。どっちへ逃げたらいいんだ?


次第に息が切れてきた。
でも何かに追われてる気がして足を止められない。
怖い、怖い。
苦しい…誰か…誰か…!!




…!!




草のようなものに足をとられて転んだ。
体中がジンジンと痛くて重くて立ち上がれない。
あの悲鳴がいっそう近くなって、思わず目を硬く閉じた。




…耳鳴りがしてもうダメだと思った瞬間、音が唐突に消えた。
顔を穏やかな風が掠めて流れていく。
光が差したようにフッと目の前が明るくなって、恐る恐る顔を上げた俺の目の前に
ミゲルが立っていた。




「ミゲル…。」




すごく優しい顔で微笑んでくれたミゲルに、体を起こして両手を伸ばした途端
フッと姿が蜻蛉のように消えた。




「ミゲル!?」




見回してももう影も形も見えない。
…どうして?
どこに行ったんだ?


足元からもやが立って、黒々とした闇が薄く霞んでいく。
その霞の間から、淡い金色がわずかに目に映った。


ミゲルだ!!


そう思って駆け出そうとしたのに、俺の足は何かに絡め取られたかのように動かない。
引き上げようとしても前に引っ張ってもビクともしなくて、逆にだんだん体が沈んでいくような感覚に襲われる。
何これ…!!
もがけばもがくほど確実に体が闇の中にめり込んでいって、次第に息が苦しくなっていく。
助けて、ミゲル助けて!!
叫びたいのに声も出ない。
俺のほうなんて見向きもしないで、ミゲルの背中がだんだん遠ざかっていく。
俺の声じゃない悲鳴が闇を切り裂くように響いてくる。
怖い、怖い、怖い!


ミゲルどこに行ったんだよ。助けてよ。
もう俺一人じゃどうにもならない。
抜け出せない。
闇の中をもがいて手をめちゃくちゃに動かした時、何かひやりとしたものに指先が触れて




目を、開けた。





…息が苦しい
目の前がぼんやりとかすんでよく見えない。
さっきと変わらない、霞のかかった暗い闇の中。
目を開けてるのか閉じてるのか、起きてるのか寝てるのかもよくわからない
さっきのは夢?それともこれも夢?
それすらもわからない。ただ手を伸ばして探る。


どこ?
ミゲルはどこ…?
広い背中が遠ざかっていくさっきの残像が目の前をちらついて、涙が滲んでくる。
手の甲で涙を拭いながら、顔を廻らせて霞む薄闇の中を捜す。
喉が熱く腫れてるみたいで声が出せない。
ねぇ、行かないで。
俺を置いて行かないで…!




「…どうした?ラスティ。」




柔らかく耳に届いた声は俺がずっと探していた人のもので、霞む世界の中に重たい手を持ち上げて差し伸べる。
伸ばした手の先に、少し冷たい大きな手のひらが触れて…思わず涙が零れ落ちる




「ラスティ?」
「…そこに、いたんだ。…どこか、行っちゃったと思った、よ…」




掴んだ手を力の入らないままに一生懸命引き寄せて、頬に当てた。
確かな感触に凍えていた心臓が温まって、ゆっくりと落ち着きを取り戻す。
一瞬手が驚いたように引かれかけたけど、俺の頬っぺたに触れてからはその手を貸していてくれて、もう片方の手がふんわりと、俺の髪から反対側の頬にかけてゆっくりと撫でてくれた。
その手があまりにも優しくて、ここが夢じゃないんだって安心できて
思わず俺は頬に当てた手を両手で抱き締めて、また涙を零した。




「どうした。怖い夢でも見たのか?」
「うん、うん。ミゲルが、どっか行っちゃう夢。真っ暗な中に俺を置いてひとりでいなくなって…呼んでも呼んでも振り向いてくれないんだ…」
「ラス、ティ…」
「でも、夢だったんだ。ミゲルはここにいるんだね…?もう俺を置いてったりしないよね?」




涙でかすんだ目で薄闇の中を見上げると、ほんの少し静寂が揺れて
ぼんやりと浮かび上がる白い指が俺の涙を拭って、冷えた手のひらでまぶたを覆う。
心地良さに目を閉じると、耳元に柔らかく髪が当たる感触がして、優しい声が耳にふんわり届いた。




「…俺は、お前を置いて行ったりしないよ。」
「うん、うん…。約束ね。」
「ああ」
「絶対ね。」
「わかった。…もう少し寝ろ。」
「うん。…そこにいる?」
「いるよ。」




そう言いながら、ふたつの大きな手のひらが優しく俺の頬や髪を撫でる。
重いまぶたはもう上がらなくて、沈んでいきそうな意識の中でもう一度ミゲルに手を伸ばすと、長い指が俺の手を包んでくれた。
膝の辺りがほんの少し沈むベッド。
耳元で大丈夫と囁く、聞きなれた声の優しい響き。
息が届くくらい近くで聞こえる声にとても安心する。
大きな手のひらが頬っぺたを包み込んで、しっとりと前髪をかき上げる感触。
そのぬくもりに包まれて、深く意識が落ちていく。


意識が消える最後の一瞬、とても近いところで空気が揺れた気がした。












「う…ん……」




重いまぶたをゆっくり押し開ける。
あぁ、すごく…頭がスッキリしてる気がする。
目はちょっと重いけど、汗をかいたせいか、何となく体も楽だ。
目…涙、のあと…。
夢…だったんだろうか。あれは全部。




「あぁ、目が覚めたのか?」
「え?」




思いがけず近くで聞こえた声に驚いて顔を廻らすと、俺の勉強机にハイネが座っていた。
何かしていたらしく、顔だけこちらに向けたハイネの肩越しにたくさんの資料とパソコンが見える。
あれ?どうしてここにハイネが?
…ミゲル、は?
ミゲルがいたのは…やっぱり夢だったんだろうか?




「ハイネ?どうして…今何時?もうそんな…?」
「んー、ちょっと早退して来たんだよ。家で出来そうな仕事ばっかりだったから。」
「ずっとそこにいた?」
「いや、ついさっき帰ってきてここに来たばっか。」
「そ、う…」
「それよりお前、汗だくだろ、着替えな。ホラ手伝ってやるから。」
「えっ!?ちょっ…ひっ、ひとりで出来るよ!!」




ホントに脱がせようとしてくるハイネの手をペシペシ振り払うと
慌ててバスタオルと新しいパジャマをその手からひったくった。
ど、どこまで子ども扱いする気なんだよ全く!
ハイネはそんな俺を見て、なぜか満足そうに口の端を上げて微笑んだ。




「じゃゼリー買ってきたから持ってきてやるよ。ピーチ、オレンジ、グレープ、ミックス、何がいい?」
「え、オレンジ。」
「オッケー。ちゃんと着替えてベッドで待ってろよ。」




ピッと人差し指を振ってそう言い置くと、さっさと部屋を出て行ってしまった。
汗を拭いてパジャマを替えながら、そう言えばちょっとお腹が空いてきてることに気づいた。
冷たいオレンジゼリーを思うと、さっきに増して元気が出てくる気がする。
着替えが済んでベッドにもう一度もぐりこんだ所で扉が開いて、ハイネが大きなオレンジゼリーを持って入ってきた。




「お待たせ。はいよ。」
「ありがとう。」




ふたが剥がされたゼリーのカップとスプーンを受け取りながら、何となくハイネの顔を仰ぎ見る。
手渡された時にちょっとだけ触れたハイネの手が、ひんやりして気持ちよかった。
冷たいゼリーが火照った喉を通るのがすごく心地良くて、嬉しい。
風邪引いたときのゼリーって、こんなに美味しかったっけ。
…ハイネって、こんなに優しかったっけ。




「なに?」
「ううん、あの、ミゲルも帰ってきた?」
「…いや?俺は会ってないけど。」
「ふぅん。…じゃあ、やっぱり夢かな。」
「怖い夢でも見たわけ?」
「うん、怖い夢…あ、でも…最後はちょっと嬉しかったかも。」
「そう。」




ハイネが優しい目で俺がゼリーを食べるのを見てるから、妙に落ち着かない気分になる。
変なの。風邪引いてるせいかな。
妙に、ハイネの目にドキドキする。




「ごちそうさま。」
「ん。この感じなら晩飯は普通ので平気だな。」
「あ!今日のお当番、俺だよね」
「バーカ、代わってやるっての。お前はいい子で休んでなさい。」




ハイネがゼリーのカップを受け取りながら、空いてる手でパチンと俺のデコを弾いた。
エメラルドの瞳がすぅっと細くなって、いつものからかうような含みのある笑顔を見せる。
甘えてもいいからちゃんと自分で言いなさいって言う時のハイネの顔だ。
いつものハイネの顔にちょっと安心して、俺も笑って口を開く。




「じゃあ、お願いするね。ありがとう。」
「よし。」




満足そうに笑ったハイネがわしわしと俺の髪をかき混ぜて、大きな手がそのまま離れていく。
あ、あ…




「ラスティ?」




思わず反射的にその手を掴んでしまった。
…どうしよう、子どもだって言われるかな。
わがままだって言われるかな。
でも、熱に半分浮かされたままなら言えるかもしれない。…もうちょっと。




「…寝るまで手、貸しててくれない?あの、冷たくて気持ちいいから!」




ひとりが寂しいから一緒にいて欲しいなんて、どうかしてる。
ハイネは保護者じゃないのにこんなこと言って、嫌がられるかもしんない。
それでももう引っ込みがつかなくて、ビクビクしながら掴んだ手を見ていた。




「しょうがないねぇ。」




でもハイネはからかうでもなく怒るでもなく呆れるでもなく、とても柔らかな声でそう言って、ベッドの端っこに腰掛けた。
俺がもそもそとベッドに転がってもぐりこむと、片手で布団を軽々と引っ張り上げてかけてくる。
サイドテーブルにゼリーカップとスプーンを置くと、ひんやりとした大きな手で俺の額とまぶたを覆ってくれた。




「冷たい。」
「目の辺りが冷たいと気持ちいいだろ。」
「うん。」
「治ったらケーキ買ってやるから、今日はちゃんと寝ろ。」
「うん。…そこにいる?」
「いるよ。」




ハイネの優しい声に心がじんわり温まっていく。
暗くなった目の奥で、何かがひらめいたけど、再びぼんやりとし出した意識の中でははっきりと掴むことが出来なくて。
ただ、冷たくて大きなハイネの手は、夢の中のミゲルの手と同じくらい心地良くて、安心した。
この闇の中に一人ぼっちじゃないのだと、この手の感触が教えてくれるようで
随分と楽になった呼吸を感じて、ゆっくり眠りに落ちていった。

 

...to be continued




【反省と言うよりむしろ言い訳】



具合が悪いときって、かったるいから構われたくない気持ちもあるのですが、
かといって一人ぼっちはすごく寂しいんですよね。
しかしこの書き方じゃ、まるで最後ラスティ死んだみたいじゃないですか(笑)。
今年はケーキはお預け、のラスティでした。ハッピーバースディ☆




2006.05.31