約束の日が近い。


今日あたしたちは卒業する。


通いなれた学校を、そして、この関係からも


 

 

MORATORIUM

 

 

、見て見て。あの枝、すごくいっぱい蕾がついてる。」




佐伯が児童公園から大きく差し出される枝を指差す。
枝の先にぷくっとした蕾がたくさんついていて、そのいくつかは淡く色づいて今にもほろりと綻びそう。
薄い桃色の蕾が春の訪れを予感させて少し嬉しくなった。




「ホントだ。もうじき咲くね。」
「梅かな。」
「えー、あれは杏でしょ。」
「杏かー、いいね。咲く頃花見しようよ。」
「……」
?」




返事が出来なかった。
佐伯はきっと軽い気持ちで言ったことで、その言葉の奥にあたしが考えてるような深いイミはないと思うけど。
でも、もうあたしは軽い気持ちで佐伯の言葉に返事をすることは出来なくなっていた。


バレンタインデーにあたしを好きだと言った佐伯。
気は長いし、ちょっとずつでいいから考えて欲しいと言った佐伯。
ホワイトデーまでに考えておくと言って三週間半。まだあたしにははっきり決まった気持ちなんてなかった。
お試し期間と称して、この三週間半のかなりの時間を一緒に過ごしてきた。
その間に佐伯は本当にたくさんのものをあたしにくれた。
惜しみない笑顔も優しさも、春の日差しのような温かな…愛情も。
でも、あたしは未だに佐伯が欲しがっている答えすらもあげることが出来ない。
どうしてそんなに思ってくれるの?あたしのどこがそんなに良いの?
自分の気持ちもイマイチわかってないのに佐伯の気持ちなんてわかる筈もない。
わからないことばかりで答えなんて出ない。


沈黙が重い。
何か言いたいけど…なんて言ったらいい?
ごめんねは…この場合地雷だろうな。
社交辞令でそうだねと言っておけばいいのに、言えない。
どうしたんだろうね、昔は社交辞令と建前が口から滑るように出て来たのに。
そういうこともあるかもね、なんてのはどうかな。
なくはないかもね、とか。最高に曖昧で今のあたしにお似合いかも知んない。




ふと、あたしの手に佐伯の手が触れた。
一瞬ぶつかっただけかと思ったけど、温かな佐伯の手がゆっくりあたしの手を握りしめる。
見上げると佐伯は何も言わずに微笑んだ。
あたしもぶっきらぼうに握り返してマフラーに首を埋める。
心臓が小さく跳ねたのはきっと寒さのせい。




「高校でも花見会あるかなー。」
「どうかな。去年の楽しかったね。佐伯のジュリエット美人だった。」
「どうせならロミオやらせて欲しかったんだけどね。バネに取られちゃって悔しかったなぁ。」
「だってその方がウケるって全会一致だったじゃん。実際佐伯より綺麗なジュリエットいなかったんだしさー。」
「俺はを推したんだよ。」
「またまた佐伯さんてば冗談ばっかり。」
「何で棒読みなの。本当だってば。俺、その頃からに惚れてたんだよ」
「えっ!?」




ちょっちょっちょっといきなりそういう核心突き抜くようなことを言うのはやめて欲しいんですけども!
だってホワイトデーまではあと三日…いや四日はあったはず…。
気は長くて力持ちがあなたの売りでしょう(何か違うかも)。
フーヴァーだって一年待ったんだしそこはひとつモラトリアムプリーズ副大統領もとい副部長。
珍妙な顔をして佐伯を仰ぎ見ると、何とも言えない顔をして笑っていた。




「あー!からかったの!?」
「いや…緊張の走り方がすごくてちょっと…あははは」
「乙女心を弄ぶな、うりゃっ!」
「うわっと、さん蹴りはナシだよ。」
「佐伯って不誠実。」
「そんなことないのに酷いなぁ。ホラ、行こ。俺今日HR前に後輩に呼ばれてるんだ。」
「あ、テニ部の?先輩たち卒業おめでとー!みたいなヤツ?」
「いや、同じ委員会の二年生の子。」
「あ、あれだ!ボタンちょうだいってヤツだ!ヒューヒュー、モッテモテ!」
「そこは棒読みで言ってほしいなぁ」




苦笑した佐伯が繋いだままの手をぶらぶらさせながら、半歩前を歩いていく。
その後姿に向けたあたしの顔は、口調ほど弾んだものではなかった。










「で、サエは今呼び出されていないってわけ?」
「そうそう。」
「お前アホじゃね?」
「…黒羽って普通に失礼だよね。」
「サエはお前が好きだって言ってんだろ?止めてやれよ。」
「何で。あたしに止める資格なんてないよ。」
「まだ決めてねぇの?」




黒羽が溜息混じりに言った。
呆れとも同情ともつかないその言葉に、苦笑しながら頷いた。
だってはっきり佐伯が好きだって言えるような確信がないから
中途半端な気持ちで好きだって言うのは申し訳ない気がする。
それじゃあたしたちの関係は今のままと何一つ変わらない。
このどこか後ろめたい、申し訳ない気持ちも変わらない。


本気になれないあたしが、本気の子の恋路を邪魔したら馬に蹴られるだけじゃすまないでしょ。




「なに二人して難しい顔してんの?」




いつの間にか帰ってきていた佐伯が、あたしの机の横に立って笑った。
軽く目線をあげた先、金色のボタンは全部ちゃんとついていた。
ああ、ボタンあげなかったんだ。
一瞬ホッとした気分になって、慌てて頭を振ってその考えを追い出した。
何であたしがホッとしてんの。おかしいじゃん。




ー?」
「何でもない。お帰り。」
「ね、、ちょっと来て。」
「何?もうすぐ先生来るよ。式始まるし…」
「すぐだから。」




笑顔のまま佐伯があたしを促す。
小首をかしげて伺うように聞いてくるけど、あたしが選べる道はひとつしかない。
こういうときの佐伯は何を言ってもムダだってわかってきたので、しぶしぶ立ち上がると佐伯の後ろに続いて教室を出る。
背中に感じる刺さるような視線にも、もうとっくに慣れていた。










「教室でも良かったんだけど、色々とうるさいからね。」




渡り廊下まで出た時、やっと足を止めた佐伯が振り返った。
あたしの右手を取って、握りしめた右の拳をそっとその上で開いた。
コロンと何かが転がる感触。
引き寄せた手のひらには金色の…ボタンがひとつ。
ハッと見上げた佐伯の学ランの真ん中、第二ボタンがなくなってる。
その意味に気付いた瞬間、握りしめた右手を佐伯に突き返していた。




?」
「返す。これはもらえない。」
「どうして?俺は、に貰って欲しい。」
「ダメだよ。」
「何がダメなんだよ?」
「これはホラ…女の子が下さいって言って貰う物で」
「第二ボタンは俺の気持ちだから、俺があげたい人にあげればいいんだよ。」




ああ、またそうだ。
佐伯はいつだってストレートで、自分の気持ちを真っ直ぐ伝えてくる。
理屈じゃなくてホントに自分の気持ちに正直な人。
でもあたしはそこまで自分の感情に自信が持てないんだよ。


佐伯が好意を示してくれることは嬉しい、本当に嬉しい。
だけど同時に辛く感じる。だってあたしは何も返せないから。
世の中ギブアンドテイクでしょ?あたしばっかり貰っていていいはずないじゃない。
佐伯が本当に欲しがっているものはきっとあたししかあげることは出来なくて、でもあたしはそれを渡すことを躊躇ってる。
多分あたしはバレンタインデーの時よりずっと、佐伯に興味を持っている。
この感じが『好き』なのかと聞かれたら、そうかもしれないとさえ思う。
でも本気の佐伯に返すには本気の気持ちじゃなきゃダメなの。
あたしの気持ちはホントに本気?ホントにあたしは佐伯が好き?
考え出したら止まらない。答えは出ない。
中途半端な気持ちのまま、これ以上佐伯に貰うことなんて出来ない。




「…困るよ」




いくらでも言いようがある筈なのに、口から出てきたのはそれだけで
俯いたまま、握り締めた手を佐伯に突き返すことしか出来なかった。
佐伯の手があたしの手に触れて、包み込む感触。
あのバレンタインの日と同じように。
ゆっくり手を開いて、その手の中に、あたしは金色のボタンを返した。


顔を上げたあたしの目に映ったのは傷ついた顔をした佐伯。
息が止まりそうなくらい悲しい瞳に、心臓がきゅうっと絞られる。
右手から温もりが奪われていく。
空気が動いて、佐伯があたしの横を通り過ぎて行った。
凍りついたように足が固まって動くことが出来ない。




「ごめん…」




掠れかけた声が遠ざかる背中に届くことはなかった。












  +      +      +      +      + 













卒業式のあとの帰り道。
佐伯のボタンに群がる女の子たちを見ていたくなくて、逃げるように帰ってきてしまった。
一人で帰るのなんて何週間振りだろう。
防波堤まで来ると、手をかけてコンクリートの壁をよじ登った。
車どおりの多い道からも海水浴場からも離れた、砂浜に面した防波堤。
ここはあたしのお気に入りの場所。
足を投げ出して座ると風が髪をくすぐって通り過ぎた。
一ヶ月前よりもずっと日差しも風も暖かくなってる。
卒業証書の入った筒も卒業アルバムもみんな傍らに投げて
鞄の中から、駄菓子屋で買ったラムネを取り出して開けた。
プシュッと音を立てて泡があふれ、ビー球がコトリと落ちる。
グイッと飲み下すと程よく冷えたラムネが一気に喉を通る。
口の中で弾ける泡が痛くて泣けてきた。


もっとあたしの気持ちをうまく言えたなら、この関係も変わっていたかもしれないのに
曖昧なままでも拙い言葉でも、あたしの今の気持ちを伝えれば、それだけで良かったのかもしれないのに
佐伯が本当に欲しがっている言葉を思うと足りない気がして、飲み込んでしまった。
結局あたしは佐伯を傷つけただけ。




「バカみたい…」




学校が終わってしまえば、約束もなしに会うことなんてなくなる。
あと四日の猶予なんて意味がなくなってしまう。
ホワイトデーの前に卒業式が来るなんてとっくにわかってた事なのに。
当たり前のように、その後も会えると思っていた。
それが何の確証もないことだと思い知ったのは、今がはじめて。
それくらい、あたしは自然に佐伯の隣にいることを受け入れてた。




「あたし、佐伯を好きになってたんだね…」




佐伯の隣は居心地が良くて、飾らない自分でいられた。
それがどういうことか、今頃気づいた。




























「どうせなら俺の前で言って欲しいな。」




























一瞬耳を疑った。
いるはずないと思った。
けれど振り返った先にいたのは紛れもなく佐伯で。
自分の身に何が起きてるのかよくわからなかった。




「……なんで?」
が先に帰っちゃうからさ、ここだろうなと思って来たわけ」




よっこいしょと言いながらあたしの隣に軽々と登ってきて
足を投げ出して座りながらにっこりと笑った。
白いYシャツが光に反射して眩しい。
風になびく学ランにボタンは一つもついてなかった。
所々、くしゃくしゃになっている。
バレンタインの日のことを思い出すと、壮絶な争奪バトルが安易に想像できた。
…女ってやっぱり恐ろしい。
佐伯があたしの視線に気づいたらしく、あぁと言って苦笑した。




「全部むしられちゃったんだよ。」
「…名誉だね。」
「そうでもないよ。」
「よく抜けられたね。貰えなかった子の方が多かったでしょ」
「バネに任せて来た。もしかしたらYシャツのボタンまで無くなってるかもね。」
「…可哀想」
「先にとっておいたから、これだけは守れたよ。」




そう言って佐伯が胸ポケットから金色のボタンを取り出した。
裏のボタン止めまできちんと付いている。




「今度は受け取ってもらえる?」




正面からあたしの目を見て、佐伯が右手を差し出した。
佐伯の目からあたしの目に、真っ直ぐ伝わる佐伯の気持ち。
もしかしたらあのバレンタインの日に、もうあたしの気持ちは決まっちゃってたのかもしれない。
だってあの日からずっと、佐伯の瞳から目を離せない。
あたしは目を逸らさないまま、持っていたラムネの瓶を傍らに置いた。
佐伯が差し出した拳の下に、両手のひらを広げて差し出した。
手のひらにそっとボタンが置かれる。
佐伯がくしゃっと顔を崩して嬉しそうに微笑んだ。




「ありがとう。」
「どうして佐伯がお礼を言うの」
が俺の気持ちを貰ってくれたことが嬉しいから。」
「あーもう、あたしまた貰ってばっか。」
「いいじゃん。俺、尽くす方だし?」
「やだ。何か悔しい。」
「負けず嫌いだなぁ。」
「絶対三倍返ししてやるから!」
「じゃあ、いっこリクエスト」
「何?」
「名前呼んで、もう一回、告白聞かせて。」




佐伯が小首をかしげて言った。
名前…
佐伯の、名前を?
もう一回好きって言う…?
佐伯の言葉を反芻した途端、ぶわっと血が沸騰した。




「やだ!無理!恥ずかしい!!」
「何でー!いいじゃん、言ってよ。」
「やだありえない!」
「三倍返ししてくれるんじゃないの?」
「うぅーっ!!…じゃあせめて後ろ向いてて!!」
「えー、顔見て言って欲しいのに。」
「そんな無理だって…」
「ね、。お願いだから。」




あたしの頬っぺたを両手で掬い上げるようにして、佐伯が顔を見合わせてくる。
今絶対あたしの顔は真っ赤だ。
そんな顔をして、お願いしてくるなんて反則。
だから佐伯なんて嫌い。
意地悪で電波系で何考えてるかわかんなくて
すぐあたしのことからかっては、反応を見て遊んでる。
だけど




が好きだよ。」




その言葉に嘘はない。
とてもとても自分の心に誠実な人。


佐伯があたしをじっと見つめて、あたしの言葉を待ってる。
本当に、気が長くて力持ちがあなたのいいところ。
頬に触れてる佐伯の手に、あたしも手を重ねて
その瞳を真っ直ぐ見つめ返した。
待たせて、ごめんね。




「あたしも、好きだよ…………」
















































「………………………………………とらじろう」








言った途端に、佐伯が目を真ん丸くして。
そして弾かれたように笑い出した。
げらげらげらげら笑って涙まで出てる。
あたしはわけがわからなくて呆然としている。
なけなしの勇気を振り絞って、消え入りそうな声だけど必死に言ったのに笑われて。
あまりの仕打ちに泣きたいのはあたしの方だ。




「何で笑うのよ!」




叫んだら佐伯が笑いながら抱きしめてきた。
驚いて防波堤からずり落ちそうになったけど、佐伯の腕が支えてたから難を逃れた。
佐伯はあたしの肩口に顔を押し当てて、まだ笑ってる。
どうしよう壊れちゃったのかな。
今置かれてる状況が理解できなくて、ただどうすることも出来ないまま抱きしめられてる。
腕を掴んで揺すったら、ようやく笑いが収まりかけた佐伯が顔を上げた。




「『こじろう』って読むんだよ。」
「はっ!?」
「同じクラスだったのに、今の今まで知らなかったなんて…ホントらしい。あーおかしい」
「こじろう?佐伯虎次郎っていうの?」
「とらじろうじゃ放浪の旅に出なきゃいけないね。」
「うわ初めて知った。…ごめん」




ありえないあたし。めちゃくちゃ恥ずかしい。
黒羽がいたらそろそろ蹴られてるかもしれない。
でも佐伯は怒る様子もなく、むしろ嬉しそうに笑ってる。




「何で笑ってるの?怒んないの?」
が真っ赤になってて可愛かったから。」
「…佐伯ってホント性格悪い。」
「あれ、また『佐伯』に戻っちゃうの?」
「…すぐにはムリだよ」
「いいよ、気は長い方だし。ちょっとずつで」
「あはは。何か一ヶ月前思い出すね。」
「そうだね、そう言えば一ヶ月前も同じようなこと言ったかも」
「長々と待たせてごめんね。」
「何言ってんの」




ちょっと俯きかけたあたしの頭を佐伯がくしゃくしゃ撫でた。
その言葉がちょっと意外で首をかしげて見上げると、いつものあの優しい目。
顔を掬い上げられて、ちいさなキスが降って来た。




「好きな子と一緒にいられたんだから、むしろ短く感じたくらいだったよ。」




佐伯が笑ってそう言った。
ひょいっと防波堤から砂浜に飛び降りて、あたしに手を差し出す。
その言葉は予想外でちょっと照れてしまったけど、すごくすごく嬉しかった。
そうだね、この一ヶ月、あたしにとってもあっという間だった。
あたしはニッと笑ってボタンをポケットにしまった。




「前言撤回する。」
「え?」
「ずっと待っていてくれてありがとう!」




コンクリの壁を蹴って佐伯の腕に飛び込んだ。
佐伯は一瞬驚いたようで、でもしっかりとあたしを抱きとめた。
僅かに砂に佐伯の靴が埋まって、さすがとか言うからそのまま蹴飛ばした。
それでもあたしを放さない。


顔をあげて今度はあたしからキスを仕掛ける。
唇を離したら佐伯が驚いた顔をしてた。
だって世の中ギブアンドテイクでしょ。
貰いっぱなしは性に合わないの。
そう言って笑ったら佐伯も嬉しそうな笑顔を返した。




「これからもよろしく。」




今日からこの腕はあたしだけのもの。

 

…end




【反省と言うよりむしろ言い訳】


Moratorium:猶予期間。一時停止期間。
「宣戦布告」の続きです。ヒロインのキャラが変わってる気が(笑)。
書くべきかどうか迷いましたが、やっぱ書いてよかったかも。スッキリしました。
背景は可愛いこんぺいとう。こんぺいとうには夢が詰まってるから。


2005.03.10