ホームに響き渡るベルの音に


私はもう一度、息を飲んだ。










途中下車








「早く早く!ココ空いてるよ!」
「皆乗ったー?」




練習試合を終えた日曜の午後。
バレーボールの入ったバッグに、ユニフォームやコールドスプレーを詰めたバッグを抱えて
チームメイトたちと、電車のベンチ席に並んで陣取る。
私は一番ドア側の席に座ると、扉にはまったガラス越しに流れる景色をぼんやり眺めた。
傾き始めた夏の日差しが眩しくて少し目を細める。
友達が今日の試合の話をしていたけど、一緒に混ざる気にはなれなかった。
あんなに騒がしい喧騒や、沸き立つ応援を一身に受けてプレーしてたのに
不思議、こうして今電車にゆられてると、耳に残ってたそんな音がさざ波のように引いていって
ただ、昨夜のお父さんの声が耳に甦ってきて消えない。
いつ、言おうか。どうしようか。
忙しなさがなくなってしまうと、そればかり考えてる。


と、それまでバラバラに話してた皆が、ヒソヒソと肩を寄せ合って何か話し出した。
?何だろ珍しいな。
ぼんやりそっちへ意識を向けると同時に、隣にいたが私をつついた。




「ね、。」
「なに?」
「あの人、カッコイイと思わない?」




小声でそう言いながらがそっと目配せした。
チラリと盗み見ると、ちょうど私の向かいの席に制服姿の男の子が座っていた。
ちょっと癖のありそうな銀髪。よく日に焼けた肌は見るからにスポーツマンて感じ。
傍らに大きなスポーツバッグみたいなのも置いてあるし、あの人も何かの試合帰りとか、かな。
綺麗な顔立ちで繊細そうな感じもするけど、長い睫毛に縁取られた瞳は明るい色をしてる。
確かに、かなりカッコイイ系の男の子だ。
こっちが値踏みしてるのなんて気付く様子もなく、長い足を持て余し気味に組んで、文庫本を捲ってる。
そんな姿が妙に絵になってた。
なるほどね、彼のことが気になってヒソヒソ話をしていたわけか。




「ねぇ、あれ六角の制服じゃない?」




ふと、誰かが思い出したようにポンと投げかける。




「あぁ、そうだよ。…あのバッグ、テニス部?」
「ねぇ、あれ、佐伯くんじゃないかな?」
「あ、そうかも!」




これを女子高の悲しさというのか。
みんな近くの学校のカッコイイ子の噂話は絶対に逃さない。
電車で二駅お隣の六角はスポーツが盛んで、うちの学校じゃかなりポイントが高く例外なくチェック済み。
その中の花形テニス部はかなり競争率が高いって聞くけど…
…「佐伯くん」かぁ。そういや私も名前だけなら聞いたことがあるな。
副部長ですっごく爽やかで優しくてカッコイイんだとか…何とか。
でも何でそれでみんな彼が「佐伯くん」だってわかるのかな。
どれも外見からじゃ判断できないことばっかりなんですけど…。
ちょっと聞いてみようかと思ったけど、やめた。
まだキャァキャァ小声で話してる友達に、今の私は混ざれそうにない。
ふぅーっと大きく息を吐き出してコツンと銀の手すりに頭を預けた。




、眠いの?」
「…かなぁ…何かちょっと体がかったるくて」
「今日大活躍だったもんね。寝ててもいいよ、起こしたげるから。」
「うん、ありがとう。」




が気遣わしげに言ってくれる言葉が嬉しくて、笑い返す。
ふっと目を閉じた途端に、耳に甦る声。


「いい加減、やめたらどうなんだ」


言わなくちゃいけない。でも言えない。…言いたくない。
…後ろめたい。


生温い風が頬に触れて、目を開けた。
私の側の扉が開いて、バラバラと人が降りていってる。
その波と一緒に涼しい風が外に抜けていって、代わりに夏の日差しにさらされた熱い空気が冷えた車内に飛び込んでくる。
ちょっと不快な気分になって再び目を閉じかけた私の足元に、何かが音を立てて落ちた。
パサッという乾いた紙の音。
目を開けて見ると、私の足のすぐ真横に濃い緑色の小さな…本…?
表紙に六角の校章が刻まれてる。
…生徒手帳だ!


気付けば向かいの席は空っぽになっている。
振り返ると、ホームに降りて二歩目を歩き出した彼の姿が見える。
きっとあの人の落し物だ。




「あの…!落としましたよ!」




席から立ち上がってドア越しに声をかけたけど、乗り込んでくる人の波に遮られてしまって届かない。
どうしよう、気付いてないみたいだ。
これがないときっと困るよね。
でももう電車が出ちゃう。
行って渡して帰ってくるまでには発車してしまうに違いない。


どうする?


プルルルルルル…
電車の発車のベルが聞こえる。


どうしよう?


?どうしたの?」


でも、だって


『一番線、ドアが閉まります、ご注意ください。』


…ええい、もう!!




!?」



素早く手を伸ばして鞄を掴んで
驚いたようなの声を背に、私は電車を飛び降りていた。
ちょうどホームに足が付いたところで扉が音を立てて閉まった。
窓に顔を当てて何か言ってる友達みんなを乗せて、電車が動き出す。
…心臓がバクバク言ってる。
……何してるんだろう、私。
今になって自分がとった行動が信じられなかった。
ホントはこれから学校に戻って、反省会してから解散、だったのに。
でもまぁ、降りちゃったんだからしょうがない、か。
っといけない、早くしないとあの人がどっか行っちゃう。
えーと、どっち行ったんだっけ。
ぐるっと見回すと、人込みの中、東口に向かう方に銀髪の後姿がチラッと見えた。
あれだ…!!
鞄を抱えなおすと慌てて走り出した。
海が近くてベッドタウンのこの駅は結構下車する人が多い。
人込みを縫うように走って、やっとその後姿が手に届くくらい近くに見えた。




「あの!忘れものですよっ!!」




人と人の間から手帳を握りしめる手を高く上げて叫んだ。
周りの人がチラリとこっちを見るけど、肝心の本人が振り向かない。
しかも結構歩くの速くて何か遠ざかっていくんですけど!
そんなそんな、ちょっと待ってよ。
あぁもう…!!




「さ、佐伯くん!忘れものっ!!」
「えっ?」




恥ずかしさに真っ赤になりながら張り上げた私の声は何とか届いたようで、「佐伯くん」がくるっとこっちを振り返った。
私は上げたままの手を振りながら人の間をすり抜けて、その目の前に滑りでる。
…うわ、近くで見るとホントにカッコイイ。
それにすごく背が高いなぁ。
「佐伯くん」はちょっと不思議そうな顔で私を見下ろしてる。
こんな美人さんに至近距離で見られるとすっごくドギマギする。




「あの、さっき電車で私の足元に落ちて、て…その、忘れ物、です。」
「ホント?気付かなかった。どうもありがとう。」




そう言って佐伯くんがふわっと笑った。
もうその笑顔たるや、佐伯くんの半径2メートル以内に燦然と花が咲いたようだった。
笑ってバックに花が飛ぶのは少女漫画の世界だけだと思っていたけど、今確かに私は彼の背後に花を見ました、ええ。




「わざわざごめんね、もしかして途中で降りさせちゃったかな。」
「いえ、あの大丈夫です。すぐ次のに乗りますし。お構いなく!」




ポーン…
『お客さまにご案内します。先ほど○○・△△駅間の踏み切りで人身事故が発生しました。そのため只今上下線ともに運行を見合わせています。詳しい情報が入り次第お伝えいたします。今しばらくお待ちください…』




た、タイミング最悪ー!
思わずあっちゃーって顔になってしまった私を見て、佐伯くんがクスッと苦笑しながら気遣わしげに切り出した。




「…もしよければ、外に出ない?お礼もしたいし。」
「は、いえ、そんなお礼されるほどのことは」
「でもきっと復旧に時間かかるだろうし。定期?出られるかな?」
「あ、はい。大丈夫ですけど…」
「じゃあ決まり。出よう。紅茶の美味しいカフェがあるんだ。」




佐伯くんが笑って、差し出したままになってた生徒手帳ごと私の手を引いた。
う、わぁ
自慢じゃないけど私はずっと女子校生活で、彼氏なんて今までの人生にできたこともないしそれどころか男の子とゆうものに全く縁がない。
手を繋いだ(?)のだってこれが初めて。
女の子の扱いに慣れてるのかな、佐伯くんて。手を引く仕種とかがなんていうかすごく自然な動きだったんですけど。
…それにしても、おっきな手だなぁ。
なんとなく男の子の手って汗ばんでるのかと思ってたけど、サラッと乾いてほんのり温かい。
手を引かれたのは、一瞬ビックリしたけど全然嫌じゃなかった。
それが自分でもとても不思議だった。




着いた先は、駅から程近い小さな小さなお店。
扉がふたつ付いていて、片方は紅茶専門店でもう片方がカフェになってる。
木の扉を押すと、チリリンと可愛らしい音が響いた。
真っ白な木枠の出窓にレースのカフェカーテン
木目のきれいな丸テーブルに脚の細いチェア
観葉植物のグリーンが所々に彩を添える。
まるで小説にでも出てきそうなお店で思わず店内を見回す。
このこじんまりとしたとこも可愛いなぁ。
佐伯くんに勧められるままに座って、メニューを広げて。
いっぱい紅茶の名前が並んでて迷ったけど、ミルクティーにオススメだっていうアッサムを。
美味しいよって言うので、一緒にスコーンもオーダーしてみた。
注文を聞いた店員さんが行ってから、グラスの水を一口飲んで佐伯くんが思い出したように口を開いた。




「…そう言えばまだ名前、聞いてなかったよね?」
「あ、ごめんなさい。です。聖心女子中等部三年A組です。」
「六角中の佐伯虎次郎です。あらためて、さっきはどうもありがとう。助かりました。」
「いいえ、そんなにお礼を言われるほどたいしたことは…。」
「だってわざわざ電車を降りさせちゃったし。どこかへ行く途中だったんじゃないの?」
「え、ええ学校に戻るところでした。今日の試合の報告に。」
「そうなんだ。それでそんな大きな鞄持ってたんだね。…バレー部かな?」
「え!?何でわかるんですか?」
「え?あ、危な…!」




ガチャガチャ、ガチャン!!
思わず身を乗り出してしまったら、テーブルの上の水の入ってたグラスがグラグラ揺れて倒れた。
中に入ってた水が零れてテーブルいっぱいに広がる。




「きゃ、ごめんなさ…!」
「落ち着いて、大丈夫だから。さんは水かからなかった?」
「は、はい。大丈夫です。」
「なら良かった。」




佐伯くんはニコって笑って、慌てる様子もなく店員さんを呼んでテーブルを拭いてもらう。
店員のお姉さんも美形の佐伯くんに謝られたからか、ちっとも嫌な顔をしないで片付けてくれた。
私もひたすら謝りながら、心の中は別のことでドキドキしてた。
さん、って呼ばれたんだよね、今。
男の子に名字でさん付けされたのなんて初めて。
…こういう感じなんだ。
ってなに私、ものすごく場違いで不謹慎なことを考えてんの!
私がそんなことを考えてドキドキしてる間に、すっかりテーブルの上は片付いていた。
あらためて座りなおすと、ちょうどオーダーした紅茶とスコーンが運ばれてきた。




「どうぞ。熱いから気をつけてね。」
「…どうもスミマセン…。」




佐伯くんが私にお茶を渡しながらクスクス面白そうに笑う。
本当に楽しそうに笑うひとだなぁ。
何か、恥ずかしい、とか意地悪だな、とか思うことも出来ないくらいきれいで明るい笑顔。
きっとこんな笑顔で笑いかけられたら、どんな女の子でも幸せになっちゃうよね。
佐伯くんにとって私は初対面なのにどうしてこんな風に笑えるのかな。
紅色の紅茶にお砂糖とミルクを入れてくるくるかき回す。
湯気の立つ紅茶はとても良い香りがして、吸い寄せられるように一口飲んだ。




「アチ」
「平気?」
「うん、でも…本当に美味しいですね。」
「でしょ?」
「へへ、電車乗り過ごして得しちゃいました。」




私が悪戯っぽくそういうと佐伯くんも声を上げて笑う。
あぁ何かいいな、この時間。
初対面の人とこんなのんびり過ごしてるなんて不思議。
と、佐伯くんが私の指をさして、言った。




「それ。」
「え?」
「それを見たから、バレー部かなって思ったんだよ。」




ふと見ると、試合の時からずっと付けっぱなしだったテーピングがぐるぐる巻きになった指が映る。
あ、そっか。コレ、か。
突き指をいっぱいして太くなった関節をそっと撫でる。




「…気に触った?」
「いえ、そうじゃなくて……確かにこの指じゃわかりますよね。」
「うん、一生懸命部活を頑張った跡だからね。」
「そう、ですか?」
「そうだよ。俺も一年の時とか素振りしまくってマメいっぱい作ったし。…今もあんまり変わんないけどね。」




佐伯くんがちょっと照れたように笑う。
そうか、この笑顔は自分のすることに自身を持っているから生まれるものなんだ。
私には、到底出来ないもの…。




「…沈んだ顔してるね。」
「何でもわかるんですね。」
「そうだねー。わかろうとすれば、きっと何でも伝わるものはあると思ってるからかな。」
「私のことも、わかろうとしてくれたんですか。」
「女の子がそんな顔してれば気になるからね。話せるようなら、聞くよ。」
「実は、親に部活やめろって言われて…部活の皆にいつ言おうかなってずっと迷ってて。」




バレー部に入って初めて身体を動かすのが楽しいって思った。
頑張って練習に出て、ようやく三年になってレギュラーになれた。
でもその分、成績も下がって…怪我も多くなって
あと少しで引退なのに、とうとう夏前に部活はやめろってお父さんに通達されてしまった。
それ以来、もうそればっかり気になって部活でもみんなと一緒に笑いあうのが申し訳ない気になって。
ただでさえ不器用な私だから、顔に出ちゃうんじゃないかってドキドキして
…息が詰まる。
何より、バレーが楽しいと感じられなくなってしまった。




「でも、どうしても言う勇気が出なくて…でも今朝もまた言われてしまったし。」
「それでどうするの?」
「どうするのって言っても…このままじゃダメだから」
「選択肢に、お父さんを説得するっていうのはないの?」
「そんなの無理です。」
「まぁ確かに、無理って思ってるうちは無理だね。じゃあ諦めるんだ。」
「それしか、ないでしょう?」




なんだか急に佐伯くんの語調が冷たくなった気がして、思わず目を逸らす。
何でだろう、ちょっと怖い。
だってお父さんがダメって言うのを私がどうして覆せるの?
学校に行かせてもらえるのも、お父さんたちのおかげだもの。
成績が下がったのだって部活が原因なのは私にもわかってるし。
どう見たって非はこっちにあるんだもの。




「仕方がないじゃない。」
「俺なら、諦めないけど。」
「だって親がダメだって言うのを」
「俺の人生だから、俺なら俺が一番好きなことをやって生きたい。」
「え?」
さんの人生でしょ。さんが好きなように決めればいいんだよ。」




私の、好きなように?




「お父さんはさんが大事だから、お父さんの目線でそう言ったんだろうけど、さんがそれに全部従わなくちゃいけない理由はないよ。自分の心に正直になることが一番大事なんじゃないの?」
「………」
「その代わり、自分で責任を取るんだよ。誰のせいにもしない。そうじゃなきゃ誰も信用してくれないし、自立も出来ない。」
「私……」
さんの本当の気持ちは?」




私 の 本 当 の 気 持 ち は ?




「…バレーを続けたい。大好きだから。」
「じゃあそうすればいいんだよ。」




何でもないことだよ、って言って佐伯くんが笑った。
ホントだね、口にしてみるときっと何でもないこと。
でもそれが何でもないことなんだって、今まで気付けなかったんだ。




「ありがとう。」
「俺がお礼を言われる筋合いはないって。答えは最初からさんが持ってたんだからね。」
「でも、ありがとう。」




佐伯くんに負けないくらい、めいっぱいの笑顔を浮かべてそう言った。
なんだろう、これからまだお父さんを説得するって課題は残ってるのに、今すごくスッキリした気分だ。


何度も払うって言ったのに、お礼だって言って結局佐伯くんが奢ってくれた。
お店を出て空を見上げると、もう日はすっかり色付いていて
裾が茜色に染まった雲が空をのんびり流れていく。
時折肌を掠める風が、軒先のヒマワリを揺らして吹き抜けていく。
今の私の心も、この夏の空みたい。
瑞々しくて、晴れ上がって、心を通り抜けた風が気持ち良い。
今日初めて会った人と誰にも話せなかった話をして。
雲に覆われて見えなかった太陽が、ようやく見えた気がした。


駅のホームまで見送ってくれた佐伯くんにもう一度頭を下げてお礼を言った。
と、佐伯くんがクシュッと顔を崩して笑う。




「笑ってくれてよかった。」
「え?」
「ううん、何でも。あ、そうだ。良かったら一緒に勉強しようよ。俺、成績は悪い方じゃないし。」
「え…と、良いの…?」
「二人の方が捗りそうだからね。」
「それもそうだね。また美味しいお店も教えてもらえそうだし?」
「そうそう。じゃあ、また明日もこの駅で。」
「ありがとう!」




私がお礼を言うと、ちょっと一瞬面食らったようにたじろいで
そのあと少し困ったように照れたように笑った。




「ホントさんて素直なんだね。」
「え、そう?」
「俺は相当打算的だから、そんなに簡単に信用しないほうがいいよ?」
「じゃあ、佐伯くんにもメリットがあるってこと?」




そう言った私の声は、佐伯くんに届いたのだろうか。
電車のベルがホームに鳴り響く。
慌てて電車に飛び乗った私の腕を佐伯くんが掴む。
振り返って目に映った佐伯くんの瞳には、今まで見たことのない強い光が宿っていて
まるで何かに挑むような真剣な瞳。
射抜かれてしまいそうだ。
キュッと上がった唇が、薄く笑って




「また、明日ね。ちゃん。」




ドアが閉まる一瞬で、小さく私の手に口付けをした。




…end



【反省と言うよりむしろ言い訳】


にさんが六角!!
ということで全身サイトの2周年&3万打over感謝ドリーム女の子編です。
黒爽やか佐伯くんとの馴れ初め話。今電車内は恋の嵐ですからネ!(笑)
男の子編はこれの佐伯くんSIDEです。

2005.08.