私が生まれてきたことに
君が生まれてきたことに
世界で一番感謝する日。
Because you are here -March-
はらりと頭に何かが落ちた感触を覚えて、ふと足を止めた。
ぐるりと首をめぐらすと、風に揺れている一本の桜。
枝を飾ってる淡い色の花びらが風に舞って、落ちる。
ああ、もうそんな時季だったと、今更ながらに思った。
試験とか卒業の準備とかで、ゆっくり季節を実感する余裕なんてなかったから。
もうあと何回も着ることのない中学の制服に身を包んで
何度となく通った学校までの道を歩いてる。
角を曲がると視界に飛び込む大きな門をくぐって、フェンス沿いにずっと歩いていくと
校舎の裏手、大きな桜の木の下に長太郎は立っていた。
久しぶりに見る長太郎は、またちょっと背が伸びていて。
見慣れない制服姿に少しドキドキした。
「ごめんね、待った?」
「いいえ。時間通りですよ。」
そんなこと言って、ふわふわの銀髪に桜の花びらがいっぱい積もってるよ。
手を伸ばして掃ってあげたら、嬉しそうに笑った。
いつもそうだ。
どこかで待ち合わせると必ずあたしよりずっと早く来て、こうして待ってる。
そんなに早く来てなくていいよって言うのに
俺が好きで待ってるんですからって、笑ってそう言うんだ。
そうしてあたしが悩む間もないくらい、愛情を示してくれるんだね。
あたしも笑った。
「いきなり呼び出してすみません。」
「いいよ、久しぶりにあたしも会いたかったし。ここのところ全然時間取れなかったもんね。」
「すいません。」
「長太郎が謝ることないよ。慣れない仕事で大変なのわかってる。」
長太郎はあたしたち3年の引退後、テニス部の部長を任されている。
もちろん日吉のこともあるし、他の部員も正直ちょっと戸惑っているけど
長太郎を抜擢した跡部の期待に応えるべく、一生懸命に頑張ってる。
そんな長太郎がとても好きだから。
「そんな顔しないで、ね?時間が取れなかったのはあたしも同じだったんだから。」
「さん…」
「で?話って何?」
「あ、そうですよね!」
あたしの言葉にハッとしたように、長太郎は姿勢を正して。
ちょっと照れたようにシュッとネクタイを外して、差し出した。
……?
「ブレザーの制服の時は、ボタンじゃなくてネクタイを渡すんですって。」
「え…?」
「さんもう卒業だから…。貰ってくれますか?」
「いいの…?だって長太郎はまだあと1年残ってるの…に……」
言ってしまってから後悔した。
長太郎は口にこそあまり出さないけど、年下であることを気にしてる。
もちろん、年が違えば過ごす時間が大きく違ってしまうっていうのもあるんだけど
男の子は、それとは別に、やっぱりプライドみたいなのもあるんだろう。
長太郎が少し寂しそうな顔をして見つめるから、あたしも思わず俯いてしまった。
あたしはこの春卒業して、高校生になる。
でもまだ長太郎は中学生のまま。
今までと同じ1年の違いだけど、この差は大きい。
今まで同じだった制服も変わって、部活でも校舎内でも会えなくなる。
高校は中学とは違って放任になるし、勉強だってずっと難しくなる。
長太郎は部長という責任もあるし、ますます部活に追われていくわけで
きっと会える時間もずっと減ってしまう。
淋しいなんて言っちゃいけないけど、今でも会えない時間はいつも長太郎のことばかり考えて切なくなる。
夏からずっと、部長として跡部の後をしっかり守ってきた長太郎。
そんな長太郎を部内で支えるのは、もうあたしの役目ではなくなってしまったから。
信じてないとかじゃないけれど、淋しくなる気持ちは止められないの。
ふと、首が楽になった。
見れば、キッチリ締めてきたネクタイを外されていて。
驚いて顔を上げると、長太郎の瞳とぶつかる。
真意を問いただしかけたあたしの唇に指をあてて、制止する。
長太郎は何も言わずに、自分のネクタイを手にとって、あたしの首に回すと丁寧に締めた。
「少し長いですね。」
「うん…」
あたしのと同じ色のネクタイ。
ほんのり長太郎の匂いがして、胸が締め付けられるようだった。
手にとって、眺める。
長太郎のって言うだけで、こんなにも愛しく思えるのはなんで?
「さんのは、俺が貰ってもいいですか?」
「いいけど…短くないの?」
「そんなに変わらないですよ。お守りにします。ずっとさんが側にいるような気分になれますから。」
「ずるい。あたしだけ一人ぼっち。」
「ずるいのはさんも一緒です。」
憂いを帯びた褐色の瞳が、あたしの方に流れる。
あたしたちの間を風が通り抜ける。
桜が、舞う。
「この間、やっと追いついたと思ったのに、またあなたは俺を置いていくんですね。」
何のこと?
言葉の真意を探ろうと、褐色の瞳を見つめる。
憂いの中に、微かに戸惑いと喜びが沈んでいるように見えるのは
……どうして?
「お誕生日、おめでとうございます。」
長太郎のポケットから、その大きな体に不釣合いなくらい小さな小さな箱が取り出される。
大きな手のひらにすっぽり収まるくらいの、ピンクのリボンのかかった包み。
今日、そうか今日は…
「あたしの、誕生日…。」
「覚えてますよ。ずっと、2月から気にかけてましたから。」
「貰っていいの?ネクタイも貰ったのに…」
「あれは別ですよ。どうぞ。受け取ってください。」
震える手で受け取って、そっとリボンを解く。
小さな箱から出てきたのは、スティックタイプの口紅だった。
最近よくCMでやってるやつだ。
リップ自体のデザインも可愛くて憧れていた、あれ。
長太郎があたしの手からそっとそれをとって、大きな手が頬に添えられる。
桜色のリップが、あたしの唇を丁寧になぞった。
反射的に目を閉じて、その感覚を追う。
背筋が、甘く痺れる。
爪先から頭のてっぺんまで痺れが伝わって眩暈がしそうだった。
全部の神経が、唇と頬に添えられた長太郎の手に集中する。
耳に届くのは風の音と木のざわめきと、お互いの息づかいだけ。
なんて厳かな空間なのだろうと、感じた。
「似合います。とても。」
少し潤んだような瞳があたしの唇にそそがれる。
あたしは鞄からポーチを出して、その唇を手鏡で映し出した。
あたしの唇を染め上げる、綺麗な淡いピンク。
大人でもない、子供でもない、まるで今のあたしのような色。
桜の花びらがひとひら舞い降りたような、そんな色をしていた。
「ありがとう、長太郎…。すごく嬉しい。」
「喜んでもらえて俺も嬉しいです。」
「大事にするね。大切に使う。」
「そんな…。これは俺の我侭なんですから。」
「え?」
長太郎が思い切りあたしの体を抱きしめた。
長くて逞しい腕はまるで絡みつくようにあたしの体をギッチリ包み込んで離さない。
頭ひとつ分大きい長太郎の顔が、伏せるようにあたしの肩に押し当てられてて
まるで雨に濡れた子犬のようにその体は震えていた。
「長太郎…?」
「ごめんなさい、さん。俺、ホントはさんの誕生日が来なければいいって思ってました。」
「長太ろ…」
「さんの誕生日が来なければ、せめて同い年ではいられるのにって、ずっとずっと思ってました。そうしたら、春から離れることもないのにって。同じ校舎の中にいられるのにって思ってました。」
ごめんなさい、ごめんなさいと、繰り返し耳元で囁かれる長太郎の言葉。
肩と首筋に微かにあたる熱い吐息に、喉の奥が熱くなる。
胸が痛い。
それはまるで懺悔のように、あたしの心に降ってくる。
もういいよと言えない代わりに、伸ばした腕であたしも長太郎を抱きしめる。
柔らかな髪をそっと梳いて。
どうにもならないこの一年の溝が、今日ほど切なく思えたことはないよ。
「俺、1年間頑張ります。だから、待っていて下さい。」
「うん。あたし高校でもテニス部に入って、待ってるから。」
こんなに脆い長太郎を見るのは初めてだったかもしれない。
儚くて壊れてしまわないか心配で、でもとても愛しくて。
これ以上ないくらい強く抱きしめた。
言葉に出来ないあたしのスキを、全部全部伝えられるように。
長太郎が悩む暇もないくらいの愛情を示すわ。
いつも長太郎がそうしてくれるように。
「さん、カッコ悪いところ見せてごめんなさい。」
「いいよ。そんなに思ってくれてる長太郎の気持ちがすごく嬉しいから。」
「カッコ悪いついでに、もうひとつだけ我侭言っていいですか。」
「うん、なぁに?」
「側にいられない代わりに、毎日これつけてて下さい。」
サラッと音を立てて長太郎の頭が離れると同時に、唇に指の感触。
長い長太郎の指が、唇の形を確かめるようにゆっくりなぞっていく。
「俺の身勝手なのはわかってます。」
「でも、さんは俺のだって、そういう証が欲しくて」
「何かで縛ってしまいたくて」
「お願い、さん。」
「一日に、一度でいいですから」
「フェンス越しでもかまいませんから」
「この唇に、ふれさせてください」
そう言い切った唇がゆっくり近づいて、あたしのそれと重なった。
もう、目を開けていられなかった。
固く固く目を閉じて、その背中に腕を回して縋る。
長太郎の気持ちが嬉しくて
切なくて
愛が痛くて、泣きそうだ。
約束するよ、絶対
「泣かないでちょうたろう」
「…泣いてません」
桜咲く。
花が舞う。
髪に肩にくちびるに
薄い色した花が降る。
まるでその花びらの後を追うように、あなたの唇も
髪に肩にくちびるに。
春からは、フェンスの向こうとこちらに別れても。
変わらぬ愛を誓いましょう。
…end
【反省と言うよりむしろ言い訳】
途中で別れ話になりそうでヒヤヒヤしました。
ロマンチックでちょっとホロリ、のはずが…切なすぎました;
季節柄、こういう系統のお話になってしまいましたがいかがでしたでしょうか。
私本人はこういう切ない系の話、大好きなんですけども(苦笑)。
3月生まれの皆様、お誕生日おめでとうございますvv
2004.02.27
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