自分の中に少しずつ狂い始めた歯車を感じていて、でもずっと知らない振りをしてきた。
けれど、空っぽになってく自分と、どんどん道を反れてそれでも走り続ける人生が突然怖くなって
3年勤めた会社を辞めた。


それで変わるつもりだった。変わる筈だった。
思いきって自分の人生、リセットしたつもりでいたのに
どうもそう簡単には行かなかったみたいだ。









本日、凶風警報








ホントに今日はついていなかった。


今一番興味のある企業の、選考をかねた説明会。
とっておきのスーツに合わせて、髪もいつもの倍時間を掛けて綺麗に巻いた。
雑誌のページをめくって好感度化粧もバッチリ。
磨き上げた靴は、お気に入りのブランドの、買ったばかりのエナメルパンプス。
まだ一度しか履いてなかったのに、あろうことか駅前の側溝に挟まって、ヒールの先っぽが吹っ飛んだ。




「あー、これはダメだねぇ。土台も折れちゃってるから釘が刺さらないよ。」
「そ、そんな…」




すぐそばのショッピングモール内、飛び込んだ靴修理のサービスセンター。
天の助けかと思いきや、止めの一言をさされて涙が出そうになる。
こんな靴ではいくらも歩けない。財布をちらりと見て、5000円以内ならと決めて探せど、目に付く靴は一桁違う。
代替なんだからそんな良い靴買えるはずもない。この靴だって散々悩んで買ったのに。
 
時計は着々と時間を刻んでる。
 
気ばかり焦って、キリリと胃が痛む。
 
やっと見つけたチープな靴屋で、とにかく安くて黒いヒールの靴を選んだ。
履いてた靴を代わりに箱に入れてもらって、石畳の道を全力で走ったけれど結局時間よりうんと遅れてしまった。
重役出勤ですね、なんて人事部の人に薄笑いで皮肉られる始末。
それで一気に緊張がピーク。記憶にあるのはひたすら謝ったことだけ、他に何を言ったかも覚えてない。
もう、絶対落ちた。


思ったより時間が押して、沈みこむ気持ちを引きずって向かった行きつけのカフェは改装中。
どんなに気分が落ち込んだって、ここのランチ食べれば頑張れる
だから今日はここでって…決めてたのに……
何だかもう食欲もなくなってきた。


冷たい風が吹きつけて、いからせた肩から背中が痛くなってくる。
天気予報で、今日は小春日和でコートは要らないって言ってたのに。
別に本気で信じてた訳じゃなかったけど、うっかりマフラーは忘れてきてしまった。
…頭がガンガンする。


でも、とにかく駅に向かおう。
時間もないし、早く電車に乗ってセミナー受けに行かなきゃ。
今日は面接の練習と、自己PRの方法とそれから…




「…お客さまにご案内申し上げます。4番線の電車は、○○駅での線路内人立ち入りの影響で、只今運転を見合わせております…」




…今日はなんて日だろう。




発車を待つ人でギュウギュウ詰めの電車を見ながら、ホームのベンチにへたり込む。
買ったばかりの慣れない靴は、足に合わなくてあっちこちが痛い。
壊れたパンプスが入った袋、黄色と赤で大きくSALEの文字が書かれてたことに今頃気づく。
バリバリに決めたスーツと見事なほどの不調和を醸し出してて…正直すごくみっともない。
でももうどうでも良い。








遅れた電車に乗って受けたセミナーも中途半端に終わり、気分は一向に浮上していかない。
やっと最寄り駅まで帰り着いたら、もう少しで日付が変わるところ。
家に帰ってご飯つくるのも面倒くさいな…
くたくたの体を引きずって、帰り道の途中でラーメン屋に入った。
ほわっと温かい湯気と、美味しそうなスープの匂い。
つられて胃袋がきゅうっと動き出す。
あぁ、やっぱり何だかんだ言ってもお腹減ってたんだ。
入れ違いに、疲れた会社員風の男性がお店を出て行く。
手にした鞄がやけに重たそうに見えて
沈んだ顔に既視感を覚える。
…あの人も自分の中の歯車の食い違いを感じているのだろうか。




「いらっしゃい!」
「今日はあっさり目でお願いします」




入口で買った醤油とんこつの食券を置きながらそう言うと、麺は硬めね、と返事が返ってくる。
昔は一人で外食なんて、何となく人の目が気になって出来なかったのに、最近はどこへでも一人で入れるようになった。
前に勤めていた会社も家からちょっと距離があったし、忙しい時は結構遅くまで残業してたから、大抵夜は外食かコンビニ。
深夜のラーメン屋ももう何度目だろう。
いつもに増してくたびれた顔の私を見て、いつも大変ですねと馴染みの店員が柔らかく微笑む。
私の他に誰もいなかったから、サービスと言ってオレンジジュースのグラスをカウンターにコトリと置く。
嫌なこと続きでささくれ立ってた心にその優しさがじんわり染みてきて、私もようやく笑い返した。


キィ、と扉が開けられる音がして、足元にスーッと冷たい風が吹き込んでくる。
いらっしゃい!と店員さんが声を掛けるのを耳にしながら、冷たいジュースをカラカラの喉に流し込んだ。




「あれ、 ?」




突然呼ばれた自分の名前にジュースを噴きそうになる。
ハッとそちらを振り向くと、スーツの上にコートを羽織ったサラリーマン風の男性が佇んでいる。
驚いたように目を見開き、それでも浮かぶ表情は人懐こくて明るい。
その顔に心臓がドクリと大きく脈打つ。
身長が少し高くなって、顔つきが精悍になった。
けれど、笑ったときの温かさは昔とちっとも変わらない。
一瞬で昔に引き戻されたような感覚のまま、唇からは昔のままの呼び名が零れ落ちる。




「黒羽、くん」
「久しぶり。こんなとこで会うなんてな」




嬉しそうに笑いながら、当たり前のように隣に座る。
心臓がうるさいほどドキドキ言うのは、驚いたからという理由だけではない。




「ホントに懐かしいな、10年振りくらいか?」
「そうだね。中学の卒業式以来…だもんね。」




そう言ってしまってから後悔した。
そんな昔のこともう気にしてないだろうと思いつつも、隣を見ることが出来ない。


中学の卒業式。私が彼に別れを告げた日だった。




中3の夏、玉砕覚悟で告白した私を黒羽くんは受け入れてくれた。
黒羽くんが幼馴染みのちゃんを好きなのは知っていた。
それでも、黒羽くんは私が隣にいることを受け入れてくれた。
嬉しかった。
側にいられるだけで幸せだったのに、好きになればなるほど心の中に不安がどんどん育っていくのが止められなかった。


ちゃんが、黒羽くんと同じテニス部の佐伯くんと付き合ってるのも知ってた。
ちゃんはただの幼馴染みだって、頭では理解しても心がついていかない。
どんなに頑張っても二人の間に割り込むことが出来ないと、何度も思い知る。
幸せな気持ちを食い破って、不安ばかりが心を占拠してしまうほど。
そして卒業式の前日、涙で顔をクシャクシャにしたちゃんが飛び込んで来て、黒羽くんに泣きついた。




『バネちゃん、あたしもう無理!!サエと別れる…!!』




よく佐伯くんと喧嘩しては黒羽くんに泣き付いてたけど、あんなに取り乱したちゃんは初めてで。
困ったような表情で、それでもしっかり抱き締めてちゃんをあやす黒羽くんを見て、どうしようもなく悲しくなって
部屋の片隅で自分の存在が小さくなって消えていくのを感じていた。
どんなに誤魔化しても、結局私は黒羽くんの一番になりたかったんだ。
そしてそれはどんなに頑張っても無理なことなのだと思い知る。
この二人はやっぱり納まる形に納まるのだと、はっきり悟った。


そして私は、卒業式の日、一方的に別れを告げた。


それ以来一度も会っていなかった。
私は私立の女子校に通い出したし、同窓会もクラス会も成人式も何となく避けてたから、本当に中学の卒業式以来だ。
それがこうして今、並んでラーメンを食べてるなんて…不思議。
少し気が引けたけど、今更気取っても仕方ないのでズズッと音を立ててラーメンを啜る。
とにかく早く帰りたい気持ちでいっぱいだった。




ってさ」
「な、何?」
「ラーメン好きだったんだ。」
「え…と、まぁ、好きかな。」
「そっか」




ゴトリと置かれたどんぶりを前に手を合わせると、ぱちんと箸を割って黒羽くんも勢いよくラーメンを啜り始める。
…ホントに美味しそうに食べるなぁ。
そう言えば、お弁当を作ってあげたこともあったっけ。
お米の一粒も残さずにきれいに食べてくれて、ごちそうさまって言った笑顔が今でも瞼に甦る。


と、黒羽くんとバチッと目が合ってしまった。
う、わ、私ってば無意識にじっと見すぎてた?
慌てて目を逸らすと、またもくもくと箸を動かした。
そんな私をどう思ったのだろうか。暫く黒羽くんの視線を感じていたところに、ポツリと声をかけられる。




「元気、してた?」
「…うん。黒羽くんは仕事の帰り?」
「そ、営業でさ。今日も外回り」




当たり障りのない会話。
けれどそこに10年の隔たりをありありと感じさせる。
自分から離れたはずなのに、どうしてそれを悲しいと思うのだろう。
底の見えたどんぶりを箸でかき回しながら、出来るだけ何でもない振りをして口を開いた。




「あの、仲良かった幼馴染みの子、元気?今でも仲いいの?」
「ああ。来月結婚するんだ。」




結、婚…?
突然降って来た思いもかけない言葉に愕然とする。
少しはにかむように笑う彼がひどく遠くに感じられる。
穏やかな瞳が幸せそうに撓んで、ギリギリと私の心を締め付ける。


…馬鹿だな、私。よりによって今気づかなくても良いのに。
あんなに昔から、歯車が狂い始めてた。




「そっか、おめでとう。…私たちってもうそんな年になっちゃったんだね。」
「そんな年って、まだ25だろ。…は、ないのか?」
「何にも。今は自分と仕事で手一杯…。」




言いながら、この手はもう何も掴んでいないことに気付く。
仕事も、本当に守りたかった自分の大切なものも、何も持っていない。
自分で捨てたものが、かけがえのない大切なものだったと、いっそ知らないままだったら私は幸せだったのだろうか。
遠くに行って誰かのものになると、その価値がわかるだなんて皮肉。
苦しくても辛くても嫉妬で狂いそうでも、決して手を離すんじゃなかった。
気付いても今ではもう遅すぎる。




「…さてと!私もう行くね。」
「何言ってんだよ、もう遅いんだから送ってくぜ。」
「ありがと。でも大丈夫。おにーさんごちそうさま。」
「毎度ー」




景気をつけるように勢いよく立ち上がると、バッグとコートを掴んで逃げるように店から出た。
外は息が凍りつきそうなほど寒かった。
急いでコートを羽織ったけど、足早に歩く私の襟元に冷気がどんどん入ってくる。
寒くて、痛くて、泣けてくる。




、待てよ!」




黒羽くんの声がしたけれど、振り返れなかった。
むしろ逃げるように走り出す。
どう思われてもいい。一緒になんて帰れない。
だって気付いてしまった。
私今でも黒羽くんのことが好きだ。
好きなんだ。




!!」




射抜かれたように足が止まった。
後ろを振り返ると、3歩手前で立ち止まった黒羽くんが、ただ真っ直ぐ私を見つめてる。
その瞳は10年前に別れたときと同じ色をしていた。




「…ずっとそう呼びたかった」
「黒羽くん」
「ずっと後悔してた。どうしてあの時お前を引き止めなかったのか、ちゃんと理由を聞かなかったのか」




あの時がいつかなんて聞かなくてもわかる。
今でもはっきりと思い出せる。
桜の木の下、別れを惜しむ喧騒、パステルカラーの花束
別れを告げた瞬間の、黒々と濡れたように光る黒羽くんの瞳
自分のことばかりで、あの時は気付かなかった。
あんなにも彼の瞳は傷付いていたことに




「俺は鈍感で、が何かに悩んでいたことにも気付かなかった。わからなかった。
 サエみたいだったら…違ったのかも知れないと思った、何度も」




私だって思った。
黒羽くんが何かを言いかけてやめるたび、私に遠慮するたびに。
あぁ、ちゃんだったら、黒羽くんにこんな顔をさせないんだろうって、何度も。何度も。
彼女は私が出来ないことをあたり前のようにする。
それが辛かった。…悔しかった。


何かに苦しむような顔をした黒羽くんが、けれど真っ直ぐに私を見つめてくる。




「今も変わってないかもしれない。でも、もう後悔したくないんだ。
 今度こそちゃんと知ろうとするから、もう一度俺と始めてみないか。」




体の奥深いところから、熱い気持ちが目覚めるのを感じる。
きっと私は別れを告げたあの日からずっと、彼のこの言葉を聞きたかったんだ。
でも




「結婚」
「え?」
「結婚、するって」
「え、違っ…それは俺じゃなくて、とサエだって!」


・ ・ ・ ・ ・ ・


「えぇ!?」
、もしかして、俺とが結婚すると思ってたのか?」




黒羽くんがさもおかしそうな顔をして言う。
早とちりした恥ずかしさに赤くなってくる顔を伏せた。
だ…だってあの会話の流れだったら、普通そう思うよ!
そうか、佐伯くん、佐伯くんなのか
脳裏に浮かぶその人は、学生服にラケットを担いだ10年前の姿だったけれど
ちゃんをずっと大切にすると聞かせてくれた笑顔は、今思い返してもとても大人びていた。
あぁ、それじゃあ佐伯くんはあれからもずっと彼女1人を思い続けたのね。
そして、やっと彼女を本当にその手の中に抱きしめたのね。


俯いた視界に、磨かれた大きなローファーが静かに入ってくる。
大きな手が遠慮がちに伸ばされて、私の手に触れた。
驚いて顔を上げると、記憶よりもずっと大人の顔をした黒羽くんの瞳と視線がカチリと合う。
とてもとても好きだった真剣な瞳が、真っ直ぐ私を見つめる。




「…俺は、今でもが好きだ」




握り締める手に力がこもる。
視界がぼんやり潤んで、霞む。
覚えているのは私だけだと思ってた。
黒羽くんは忘れてしまって、私の存在すら思い出しもしないと思ってた。
傷つけたのは私なのに、一人で傷付いているつもりでいた




「ごめん…ごめんなさい…」




はいつも謝ってばっかりだな」




少し困ったように黒羽くんが呟いた。
繋いだままの手にぽたぽた涙が落ちる。
弱い私は逃げてしまった。
大切なものを自分から捨ててしまった。
もう二度と取り戻せないと思っていたものを、黒羽くんは大切に持っていてくれたんだ。




「謝って欲しくて言ったんじゃないんだ。そうじゃなくて」
「…私、今でも黒羽くんが好きです」

「好き…黒羽くんが、好きです」




顔をあげて、黒羽くんの目を見てそう言った。
意識せずに口から零れたような、とても自然な言葉だった。
そういった後から、まるでこんこんと泉が湧き出すように、体の中に潤いを湛えた気持ちがあふれ出してくる。
…あぁ、そうか。やっぱり、この気持ちが私の、真実。
一番大切なものだったんだ。


不意に繋がったままだった手が強く引かれた。
少し乱暴なくらいに引っ張られて、そのまま黒羽くんの胸に体をぶつけた。
長い腕が背中に回って、きつく私を抱き寄せる。
私も放り出したままの腕をそっとその広い背中に回して、ギュッとしがみ付いた。
隙間なくぴったりと重なった体を、それでもまだ足りないと言わんばかりに黒羽くんの腕がかき抱いてくれる。




「夢じゃないか」
「違うよ…」
「そうだな、夢以上だ。」




囁きかける言葉がくすぐったい。
腕が、胸が、温かい。とても。
初めて抱きしめられた日を思い出した。
あの日のように、ドキドキして、嬉しくて、舞い上がりそうな気持ちが体を走り回ってる。
抑え切れない衝動のままに、好き、と言葉に出して呟く。
いくら言っても足りない気がする。10年分言ってしまいたい。一晩かけてでも。
その私の気持ちが移ったように、黒羽くんがまた強く私を抱く。




「絶対大事にするって約束するから、今度こそずっと…俺の側にいてくれ。」




それはまるでプロポーズのように甘く私の耳に溶けた。
頷く私に、黒羽くんが瞳を合わせてくる。
目を閉じて、唇が触れ合った瞬間、カチリと歯車の合わさる音を聞いた。




…end



【反省と言うよりむしろ言い訳】


究極についてない日の応援ドリーム。
たまにこういう、とんでもなく運のない日というのもあるもんです。
でも小さな幸せに、人生捨てたもんじゃないよね、と感じるのもこういう日。
最近友達が結婚続きで、なにやら感傷めいた気分にもなってきましたよ。

2010.11.03